箱 崎 : |
12月にパーティーコンパニオンで東洋大学の先生と会って、もう2月に受験しようと決心したのですね。その先生に自分は施設出身者だという話をして、そういう経験を生かして子どもの支援をしたという話から、「じゃ、あなたみたいな人は勉強した方がいいよ」と言われて、資料も送ってもらって、背中をポンと押されたっていう感じですね。
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渡 井: |
そうですね。その先生にその後、お礼も何もしていないんです。その先生が入試の事務方をやっている方を教えてくれて、その方が大学の資料を送ってくれて……。 |
箱 崎 : |
そういう貴重な情報をきっかけに、真剣に大学で勉強しようと思ったのですか? |
渡 井: |
はい。大学に行って勉強してみたらいいなと思って方向転換しました。 |
箱 崎: |
そこで、パーティーコンパニオンのバイトをしていて、偶然東洋大学の先生に出会っていなかったら、そういう情報を得るのはもっと先だったかもしれないですね。 |
渡 井: |
そうですね。どうしたかわからないですね。まあ、資格はとった方がいいっていうのは、18歳のフリーターの私でもわかっていましたが、時間はもうちょっとかかったかもしれないですね。 |
箱 崎: |
その時は具体的に就きたい職種はなかったのでしょう? |
渡 井: |
そうですね。その時は、ぼんやりと、ワーキングホリデーに行こうと思っていました。結構、ピースボートで出会った友だちもそういう生き方をしているんで。 |
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箱 崎: |
ピースボートで、「日向ぼっこ」を一緒に始めることになった仲間と出会ったのですよね。 |
渡 井: |
はい。Iさんと。Iさんは「日向ぼっこ」を最初に一緒に立ち上げた仲間で、今は自立援助ホームで働いています。Iさんは、施設出身者ではないのですが、私が児童施設で暮らしていたことを知って、興味を持ってくれて、それで私が大学に入って、1年後に彼女も東洋大の福祉学科に入学したんです。それで、Iさんが施設出身者の冨塚さんと同じ学年で一緒の授業もあって親しくなって、Iさんから「あなたみたいに施設で暮らしてた人いるよ」という話は聞いてはいたんです。でも、すぐコンタクトをとろうというふうにはならなかったんです。私は大学1、2年の時が今までの人生で一番落ち込んでいたこともあって。 |
箱 崎: |
施設を出てから施設とのつながりは続いていましたか? |
渡 井: |
そうですね、つながりがあるって言えばあるというか、お米を送ってきてくれたりとかはあったんですけれど、手紙とかは1通も入っていなくて・・・。 |
箱 崎: |
ひと言も言葉がないのは、ちょっと寂しい気がしますね。 |
渡 井: |
私が生活した施設は、退所した人とは連絡とれてないと思います。みんな連絡切っちゃう。 |
箱 崎: |
そういうことからも、渡井さんは、すでに当事者のサロンの必要性を強く感じていたのでしょうね。当事者の団体をつくろうと。 |
渡 井: |
その時はまだつくろうまではいかなかったんです。大学入って、やっぱり、自分は周りの人と違うなっていう感覚を突きつけられて。自分はすごく目的意識があったんでけど、そうでない人もかなりいて。何かすごいイヤでした。施設の職員が児相のワーカーさんになれたらいいのかなっていうのは思ってたんですね。でも、周りの人は決してそういう意識はなくて、授業も体系的な講義が多くて、あんまり面白くなくて、何か拍子抜けして。だからすぐヘルパーの資格をとって現場で働き始めたんです。最初は資格がなくても働ける仕事をしていて、知的にハンディがある方の施設の臨時の職員をして、大学3年の終わりごろにヘルパーを始めました。その間は引きこもりの人のサポートの仕事に就いていました。 |
箱 崎: |
どのような仕事をしていたのですか? |
渡 井: |
先程、私は19歳になるまであんまり尊敬できる大人の人がいなかったとお話しましたが19歳で出会ったのが、自営で引きこもりのサポートをされている方でした。他の団体さんの取り組みはわからないんですけど、その方は本当に実績を出す方だったんですね。引きこもりの方を自立させて、就職につなげたりもしていて、この人はカッコイイと思ったんです。 |