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引土 絵未(ひきつち えみ)

1976年広島生まれ。
広島県立女子大学(現広島県立大学)卒業後、精神科ソーシャルワーカーとして主にアディクションからの回復支援に携わる。在職中にアメリカの治療共同体に感銘を受け、大学院で治療共同体について学ぶことを決意し、5年半勤務した精神科病院を退職。その後、首都大学東京大学院社会科学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了し、現在、同志社大学社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程にて、アメリカの治療共同体の日本での実現に向けて、現地での研修を重ね勉強中。
 修士論文『「当事者」「援助者」を越えて−治療共同体AMITYにみる援助方法の一考察−』。
 
第6回 ―共同体からのさまざまな歩み―
 2008年9月に3週間、私はアミティに4度目の滞在をし、12人のスタッフとスチューデントにインタビューをおこなった。これまで見てきた、アミティ独自の理念や構造、そして実践がどのように受け継がれているのか知ることが目的だ。
 今回の滞在を通して見えてきたものは、アミティを通してどのように回復していくのかというさまざまな歩みであった。それは実に多様で、当初私の中にあった、良くも悪くも「アミティの中での回復」というイメージを払拭した。
 そして何より、4度目の訪問で実感したことは、「アミティの変わるものと変わらないもの」だった。訪れる度に、スチューデントは大部分が入れ代わっていて、スタッフも異動や退職などで中心的な運営スタッフ以外はほとんど代わっていた。こうして、人は常に流れていながらも、アミティはいつ訪れてもアミティのままだった。

違うアミティ
  今回の滞在で、私は4人部屋の2段ベッドの上で生活することになった。初めてその部屋に入ったとき、大音量の音楽が流れる中で、「あんた誰?!」という第一声に出迎えられた。私は恐る恐る自己紹介し、「大丈夫かな…」という不安で一杯になった。
 その部屋のルームメイトたちは、入所1ヶ月の10代のアレックスと50代のデブラ、そして3ヶ月目の20代のシーナだった。私の不安は的中で、「とんでもない部屋にはいってきちゃったな…」とますます不安は大きくなった。

 シーナは朝でも晩でも大音量でラップミュージックを流しだし、アレックスはマイペースでベッドの回りはいつも散らかし放題、デブラは唯一私に話しかけてくれたが、精神的な病気をかかえていて、時折り話が脱線していった。
 「アミティのあの成熟した温かい雰囲気はどこにいってしまったんだろう…」
 この時アミティのコミュニティの人数は70人前後で、前回の倍の数に達していた。一人一人と関係を築くことができた前回と比べ、顔と名前を覚えるのにも一苦労した。
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