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引土 絵未(ひきつち えみ)

1976年広島生まれ。
広島県立女子大学(現広島県立大学)卒業後、精神科ソーシャルワーカーとして主にアディクションからの回復支援に携わる。在職中にアメリカの治療共同体に感銘を受け、大学院で治療共同体について学ぶことを決意し、5年半勤務した精神科病院を退職。その後、首都大学東京大学院社会科学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了し、現在、同志社大学社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程にて、アメリカの治療共同体の日本での実現に向けて、現地での研修を重ね勉強中。
 修士論文『「当事者」「援助者」を越えて−治療共同体AMITYにみる援助方法の一考察−』。
 
第5回 ―共同体の一員になるには―

新たなAmityの一面
 私は2008年1月27日に再びAmityを訪れた。今回の目的は、5週間スチューデントとして生活する中で、Amityの中で行われている援助の方法やそれがどのように受け継がれているのかを見てくることだった。

 しかし、今回の滞在で一番印象に残ったのは、それ以上に「共同体の一員になる」ことの難しさとそれがもたらす力だった。
 これまで日本人研修ツアーの一員としてAmityを訪れていたときには、スチューデント達は常に笑顔で、率直に自らのことを語り、私たちをゲストとして歓迎してくれていた。それがAmityという共同体のもっている力なのだと私は考えていた。だからこそ、その力がどのようにつくられていくのかを自分の目で確かめたかった。
 しかし、スチューデントの一員として生活する中で気づかされたAmityという共同体には、常に衝突と対立と混乱、そして孤独や不安や恐れがあり、だからこそ和解や友情、成長や回復がもたらされていた。

 この気づきは、Amityが決して理想郷ではなく、実現可能な共同体なんだという思いを深めることとなった。

共同体の中の孤独
  今回の滞在中最初の1週間は、これまで通り日本人研修ツアーと行動を共にした。今までと違うのは、私にはもう通訳がいないため、グループやミーティング中に何が話されているのか、何が行われているのか話半分くらいしかわからないことだった。
そのことは私にとって大きな不安だったけれども、そのことを分かち合える日本人の仲間がいてくれることはとても心強かった。
 日本人仲間を見送ってから4週間、私はたった一人で生き残らなければならなかった。
 日本人ツアーの一員ではなく、たった一人でAmityに滞在することになって最初に感じたのは、強烈な孤独感だった。
 確かにこれまで通りスチューデントは温かく笑顔で私に接してくれた。しかし、言葉の壁に加え、私自身の心の壁は自分が想像していた以上に厚く、彼らと何を語り、どのように時間を共有したらよいのか分からなかった。さらに、今までのように、一日の明確なスケジュールが与えられることもなく、自らどのように一日を過ごすのか考え動いていかなければならなかった。
 
全体ミーティングや決められたグループ以外の時間、スチューデントたちは決められた役割や仕事をこなし、空いた時間には談笑し、思い思いに充実した時間を過ごしていたが、私は自分の部屋にひきこもってしまった。
 食事の時間になると、各自が食堂に集まり、思い思いのテーブルについて会話を楽しみみながら食事をしていたが、どのテーブルに加わっていいのか悪いのか分からず、みんなが集まる時間を少しずつずらしている内に、とうとう食事をしそこねることもあった。
 
そんな時、私のビッグ・シスター(新しい入所者のために、先輩スチューデントが共同体の生活のルールや方法などを教えたり、サポートしたりする役割をもつ)は私が食事をしそこねたことを聞いて、私の部屋にパンを持ってきてくれた。
 それでも、私にとっての安全な場所は自分の部屋の中だけだった。
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