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・・続き2 AMITYのスタッフのあり方 AMITYでは「治療共同体の最初のグループは援助者のグループである」とされている。援助者が共同体は自身と当事者によって創られるということを認識し、自ら実践し自らの姿勢で示さなければ、治療共同体は創ることはできないのだ。 そのため、AMITYではどのようなプログラムやセッションも全てスタッフが経験している。 スタッフ自身が経験し、何を感じどのような変化がもたらされたのか、それをスチューデントに示すことで初めて援助をおこなうことができるのだ。 「スタッフがやってないこと、やりたくないことは、スチューデントにもやらせない」ということが基本にある。 日本では、このような視点はほとんど無いといってもよい。援助者はあくまで援助者であり、援助を与える役割とされる。その与える援助の源は、本で習った知識やそれまでの援助の経験であり、自分自身が援助を受けた経験ではない。自分自身に当事者としての経験を持っていたとしても、その自分自身の当事者としての経験を援助の源として示していくことはタブーとされているような暗黙の了解がある。 私はAMITYの経験を通して、この暗黙の了解が自分を苦しめていたことに気づいた。 ある日本のリカバリング・スタッフに、父親がアルコール依存症であったこと、そして自殺で亡くして苦しんできたことを話したとき、 「あなたも薬やお酒を使ってはいないけど、当事者だ。援助者として働いている時に、そのことを話せずに働いていたのは、自分たちが依存症のことを隠して働きながら回復を目指すのと同じで、しんどかったでしょうね」と言われ、自分が何に苦しんできたのかに気づかされた。自分自身の当事者である一面を「隠さなければならないこと」が苦しかったのだ。 AMITYでは援助の源である「人を導くことのできる自分自身の経験」が私には「隠さなければならない経験」だった。 人を導くことのできる自分自身の経験 このような「人を導くことのできる自分自身の経験」への転換はどのように実践することができるのだろうか。 まず、自分自身がエモーショナル・リテラシーやデモンストレートができるようにケアを受ける必要があるだろう。自分自身の経験からの苦しみや悲しみを受け入れ、語ることができるには、安全な場が必要になる。多くのAMITYのスタッフはAMITYの卒業生でAMITYのプログラムを経験しケアを受けている。 次に、自分自身の経験を語ることが受け入れられている場であることが必要になるだろう。私が「これから日本で自分自身の経験を語ることで援助を行っていきたいが、何か注意することはありますか?」とAMITYのスタッフに尋ねたとき、「組織がそのことを認めていることは重要です。アメリカでも、そのことを認めていない組織でスタッフが退職に追い込まれたことがある。」と説明してくれた。組織から与えられる役割と自分自身の望む役割が一致しているということは、援助者にとっても当事者にとってもとても重要だ。 最後に、「援助者として自分自身の経験を開示する」ということを常に自覚しておく必要があるだろう。AMITYでは「グループの沈黙を解かすために、自分の経験を分かちあう」とされている。目的はあくまで援助者としてスチューデントを導くためであり、自分自身のケアのために自己開示を行っているわけではない。 そのために、AMITYではスタッフ自身のケアの場としてのスタッフミーティングが定期的にもたれている。当事者としての経験をもち、そこからどのように回復しているかを示すことが、援助者の専門性のひとつであるという認識が常に確認されている。 (次ページへ) |
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