>シリーズ2 アメリカ児童福祉通信へ
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粟津美穂(あわづ・みほ)
 東京生まれ。1978年、渡米。カリフォルニア州立ポリテクニック大学卒業後、時事通信社ロサンゼルス支局の記者となる。その後フリーランスになり、雑誌や新聞に米国の子どもや女性に関する記事を執筆。
90年代初めより、地域のDV被害者のための施設やユース・カウンセリング・プログラムの活動に参加する。95年、南カリフォルニア大学福祉学科で修士号を取得。ベンチュラ郡・精神保健局、少年院でインターンを経て、カリフォルニア州立精神科病院ソーシャルワーカー。2001年より4年間、ベンチュラ郡・児童保護局で十代の里子たちのソーシャルワーカーとして働く。2006年からワシントン州の児童保護局で0歳から16歳までの里子たちとともに仕事をして現在に至る。シアトル在住。
著書に、『こんな学校あったらいいな ミホのアメリカ学校日記』(ポプラ社・1988年)、『ディープブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録』(太郎次郎社エディタス・2006年)がある。
 
<第二回 全9ページ>
貧困地域で増加する虐待通告
6月4日
 昨夜のカシノ通りでの火事の一件が新聞記事になり、児童保護局のオフィスでは職員たち数人が受付の長いカウンターの上の朝刊を囲んで、おしゃべりにふけっている。
エヴェレットの児童保護局にはソーシャルワーカーが58人、8つのユニットに分かれて、仕事をしている。私の小さなユニットは、この1年間にソーシャルワーカーが数人退職や転職をし、新顔が何人か加わったものの、以前には7人いたフルタイムのスタッフが今では私を入れて5人になってしまった。カリフォルニアで児童保護の仕事をしていた時、ワーカーの雇用と維持の問題の深刻さを実感したが、ワシントン州でも現実はまったく同じだった。

 私たちのスーパーヴァイザーのアレックスは、10年間フロントライン・ソーシャルワーカーの役目を務めたあと、今年初めて中間マネジメントの地位についた新米。水曜日の朝はいつもユニット会議をすることにきまっているが、この日も、スポーツ刈りの気さくなアレックスを囲んで、私たちソーシャルワーカーはケースワークの実践やこれからの行事について話し合いを始めた。

 アレックスは、火事のあったカシノ通り一帯のいわゆる“貧困地域”の虐待通告件数が他の地域に比べてはるかに多いことを指摘した。「フォスターケアのシステムに入ってくる子どもたちの大多数がカシノ通り地域の住人なのに、この地域には、たったひとりしか里親がいないんだ。その結果、カシノ通りに住む子どもたちは、虐待やネグレクトがもとで実親から分離されると、自分たちの家庭だけじゃなく、慣れ親しんだ学校や隣人、コミュニティーを離れて、遠くの見知らぬ地域の里親に措置される、という現象が起こる。」  
 アレックスは児童保護局が、カシノ通り地域での里親リクルートのキャンペーンに本腰を入れて乗り出したことを報告した。「カシノ通りに住む里親が自分の子どもと里子を一緒に同じ学校に送り迎えする。僕たちはこれから、そんな環境をつくらないといけない。そういう環境が里親と実親たちとの関係を密接にして、実親から引き離された里子が早いうちに親元にもどっていく道を啓くと思うんだ。」
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