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粟津美穂(あわづ・みほ)
 東京生まれ。1978年、渡米。カリフォルニア州立ポリテクニック大学卒業後、時事通信社ロサンゼルス支局の記者となる。その後フリーランスになり、雑誌や新聞に米国の子どもや女性に関する記事を執筆。
90年代初めより、地域のDV被害者のための施設やユース・カウンセリング・プログラムの活動に参加する。95年、南カリフォルニア大学福祉学科で修士号を取得。ベンチュラ郡・精神保健局、少年院でインターンを経て、カリフォルニア州立精神科病院ソーシャルワーカー。2001年より4年間、ベンチュラ郡・児童保護局で十代の里子たちのソーシャルワーカーとして働く。2006年からワシントン州の児童保護局で0歳から16歳までの里子たちとともに仕事をして現在に至る。シアトル在住。
著書に、『こんな学校あったらいいな ミホのアメリカ学校日記』(ポプラ社・1988年)、『ディープブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録』(太郎次郎社エディタス・2006年)がある。
 
<全9ページ>
〈ドリスの子どもたち〉
 8月20日、私は裁判所からの書類を手に、エヴェレットの北20キロほどはなれた病院に来ていた。まだ朝早く、人気もまばらな病院の廊下を新生児病棟に向かって歩いた。私はここに、昨晩生まれた女の赤ちゃんを受けとりに来たのだ。

 この赤ちゃんの母親は28歳のドリス・メイナード。彼女には、この赤ちゃんのほかに、イジーとハンナというふたりの子どもがいる。イジーは3歳半の男の子。ハンナは生後12ヶ月の女の子。ドリスはイジーとハンナを自分の手で育てることができずに、1年前、ハンナの父方の祖母の手にゆだねた。私はイジーとハンナのソーシャルワーカーとして、先年の12月から8ヶ月間、この家族のために仕事をしてきた。

 母親のドリスは健康で、麻薬やアルコールの依存症も、知能障害も、そして逮捕歴も無い。過去に、子どもを虐待したことも無い。それではなぜ、彼女がイジーとハンナを自分で育てることができず、そしてさらに、生まれたばかりの赤ちゃんまで裁判所の命令によって、児童保護局の手に渡る結果になったのか。その事情の背後には一貫してドメスティック・バイオレンス(DV)があった。 

 DVは、アメリカ社会全体に浸透し、数多くの子どもたちの身心に密接した暴力だ。18才以下の子どもの20パーセントが日々、DVに身をさらして生活していると推測され、その数は1千万人とも言われる。 母親に暴力を与える父親(もしくは義理の父、母の恋人)の多くが、子どもたちにも肉体的な虐待を与えている。マサチューセッツ州の統計調査をもとに、児童保護局が子ども虐待の家庭調査を行ったケースの半数近くに、DVがあることが分かった。また、オレゴン州の児童虐待のケースには、子どもに重症や死を招いた最も深刻な身体的虐待の4割以上に、ドメスティック・バイオレンスがあった。

 私の待っているがらんとした病室に、ポニーテールの看護師が生後半日もたっていない新生児を抱きかかえて来た。「母親には事情を話して、帰らせました。法廷命令で、児童保護局が赤ちゃんの身柄を引き取るからって。彼女は恋人と一緒に、病院を泣きながら出て行きました。たった一時間ぐらい前ですけど・・・。」
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