箱 崎 : |
生き延びるためにしたことなのでしょうね。学校はどうしていましたか?
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渡 井: |
最初は就学して転校生みたいな感じで行きました。母は、横浜のいい住宅地みたいなところの安いアパートを借りて暮らしていたんですよ。その学校は、朝、学校が始まる前にみんなで仲良く集まって遊んだりしてるんです。何曜日は大縄とか、何曜日は何々みたいな感じで。みんな学校大好きな感じで、みんなすごく私に親切なんですよ。 |
箱 崎 : |
始まる前から学校で遊ぶなんて、不思議な学校ですね。 |
渡 井: |
はい。私は当時、関西弁だったし、みんなと友達とになって遊ぶことができなくて、学校には馴染めなくて。それでちょっと足が遠のくじゃないですか、もともと不登校だったんで。当時、「登校拒否」って言われていたみたいですけど。でも、その学級の中でも特に優等生みたいな子が、わざわざうちに迎えに来てくれるんですよ。その時の光景は目に浮かぶんですけど、人が来たら、玄関を開けるじゃないですか。そうしたら、その優等生がいて、でもうちの中はとても汚いですよ。それで、その子がすごくびっくりした顔をしていて、私も、ああ、これは絶対無理みたいな感じで、学校にはもう行けなかったですね。 |
箱 崎: |
あまりの生活の違いを感じたのでしょうね。 |
渡 井: |
でも、また丁寧に「早く学校に来てください」と、みんな1枚ずつコメントを書いてくれたメッセージカードをくれるんですけど、私はたぶんそれを見なかったです。やってくれていることはありがたいんですけど、その時の私の心に響くものではなかったんです。本当は、あなたは守られるんだとか、こういう状態っていうのはおかしいと感じているのは当然だと、私の心に寄り添って言ってくれる人がいて、母親の状態もよくなってみたいなことがあると、よかったんですけれど・・・。 |
箱 崎: |
そうですね。何かこう、形だけの友だちみたいな感じで心には届かないですよね。 |
渡 井: |
うーん。たぶんすごくみんないい子たちだったんですけど、私は、その子たちが置かれている状況とは余りにも違い過ぎるのでつらいんですよね、そのことをまた突きつけられるんで。 |
箱 崎: |
違いをよけい知らされるみたいでね。 |
渡 井: |
そうですね。それで母も状態がよくなかったんですよね、理由はわかんないんですけれど、私は母に包丁を突きつけられた記憶があります。 |
箱 崎: |
神奈川に戻ってからですか? |
渡 井: |
はい、そうです。汚い部屋の中で、刺さりはしなかったんですけど。それで、何かもう、母も無理だなと思ったみたいで、母から、児童相談所の人が来たら、「もうお母さんとは住みたくないって言いやあ」って言われて、実際それを言ったかどうかは覚えてはいないですけど、児童相談所に行って、それで神奈川の児童養護施設に弟と妹と一緒に入ることになりました。 |