|気づきの対話 top
第五回目のテーマは「社会的養護と当事者活動」
児童養護施設での生活体験者で、当事者活動をしている渡井さゆりさんとの対話です。
   
・・続き3
箱 崎 : 渡井さんはすでに小学生の時にいろんな人たちがいることを知って、感性が研ぎ澄まされたのでしょうね。母子寮を出てからはどうしたのですか?
渡 井: 母子寮を出てからまた大阪に戻って、大阪府内で暮らしていたんです。小学3年の時です。母はそんなに強い人じゃないからまた父と連絡をとったみたいで。父は経済的に厳しくて生活保護を受けていて、母も生活保護を受給しながら暮らしていました。お互いの世帯は分離して別々に暮らしていました。父はタクシーの運転手をしていて、仕事の合間に母や私たちのいるアパートに通ってくる感じでした。父は結局、最後まで、私が母に連れられて最初に出て行くことになったマンションを引っ越さなかったんです。父はその後、そこで他界しました。
 母は本当に今でも1年に1回は引っ越しするような人なんですけど、反対に、父はずっと同じ所に住み続けていました。もしかしたら、父は、私たちがいつでも帰って来たくなったら、帰って来れるようにと思って、同じ所にいてくれていたのかなあと思うとちょっと切ないです。
箱 崎 : お母さんは、お父さんを置いて、突然いなくなっちゃって、神奈川の母子寮に入って、それでまた大阪に戻って、父さんが通ってくるような生活で。親の都合で転々とする生活をしていて、子ども心として、渡井さんはどういう気持ちでしたか?
渡 井: 子どもって、親の状況についてあんまりわからないじゃないですか。それに、どちらかというと、私は、父の悪口とか、父の家の悪口とか、母の聞き役だったので。母はたぶん今は治っていると思うんですけど、統合失調症のような被害妄想があったと思うんです。すごく父のことや父の家のことを悪く言うんです。
箱 崎: 子どもの渡井さんが聞き役になって、お母さんの話をずっと聞いていたのですか?
渡 井: はい。私が最初に母に連れられて家を出て行ったのは小1の時で、その時のことは覚えていて、父に対して罪悪感はあったんですね。父ともいろいろあったけれども、子どもって、親のことを悪く思えないじゃないですか、自我が出てくるまでは。
父親からの暴力の記憶
箱 崎: お父さんは、渡井さんを殴ったりとか、暴力を振るったりしませんでしたか?
渡 井: そういう暴力はなかったですね。ただ2人っきりでいる時に、うーん、ちっちゃい時だから、もうよくわからないんですけど、触られたっていうか、そういうのが・・・。ただ、何かそれも、その記憶が本当なのかとか、ちょっともうわからないんで。そうだったかもしれないし、そういうことを自分で勝手に思ったのか、でも、勝手には思わないでしょうから、そういうことはなかったと思いたいのかも知れませんが・・・。
箱 崎: 靄がかかっているけれど、何かそういう記憶がある感じですか?
渡 井: そうですね。父に対してすごい恐いイメージはあります。私が何か寝ている時に猫を殺していたりするんです。マンションのベランダで夜中に音がして、何の音だろうと思ったら、ベランダで猫を殺していて。突然、カアッとしてしまうみたいで。飼っていた犬も殺したみたいなんです。あとは子どもの前で平気でエッチしてたりとかもありました。
箱 崎: それも一つの暴力ですからね。
渡 井: そうですね。だから、夫婦ゲンカがすごくて、母親もすごい声をあげたりするから、警察沙汰になるので、私たち子どもは、警察署で寝ることもありました。
児童養護施設に入所
箱 崎: どのようなプロセスで児童養護施設に入ることになったのですか?
渡 井: 母は近所の人と折り合いがうまくいかなくて、大阪市内に住んでいたんですけど、豊中市に引っ越しました。そこでまた私、不登校になりました。大阪市にいた時も何かこう、父は雨が降ったりしたら「学校に行かなくていい」って言うんです。そんなの信じられないと思うんですけど、私は、お父さんにそう言われたら学校は行かなくていい日なんだろうなあとか、あんまりたぶん社会性も備わってなくて、そう思って学校に行かないと、次の日、学校で「何で来ないんだ」と怒られて。
 母が父から逃げるようにして豊中に引っ越し、そこでは父との接触はありませんでした。母は、いつも引っ越す時に、「今度こそ、今度こそ」みたいなことを言いながら引っ越すんです。でも、結局また隣の人とは折り合いは悪くなるんです。よく考えれば、つき合わなければいいと思うんですけど。私も学校に通い始めたんですけど、何か衝突したかなんかで、もう1日目で学校にすぐに行かなくなって。
箱 崎: 何回引越したのですか?
渡 井: 小学校は6回転校しています。でも、はしょって、神戸とか九州にも母が行った時あったんで、ただ、そこは在学してないから。神戸の母子寮にいた記憶と、九州に移った記憶はあるんですけど、何か不確かなので、いつもお話しする時は、はしょるというか(笑)。
箱 崎: 横浜だけじゃなくて、神戸の母子寮にも入っている時期があるのですか?
渡 井: はい。私の記憶がはっきりしていないのですが、たぶん。

次ページへ
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | MENU  
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.