|
箱 崎 : |
渡井さんのような施設で育った体験のある人が言うと、重みがありますね。 |
渡 井: |
別に施設批判ではなく、子どもはこう思っていましたということを発信しないと、職員の方々にはわからないんじゃないと思うんです。 |
箱 崎 : |
いろんな施設があると思いますが、私の知っている施設では、職員がお母さんのような存在になっていて、退所した後も、お母さんのように職員をすごく慕って何かあると相談に来るっていう関係ができているんですよね。 |
渡 井: |
そういう関係が必要だと思いますね。 |
箱 崎: |
そういう関係が職員と渡井さんの間ではあんまりつくれなかったのかなと。 |
渡 井: |
ですね。私の10代後半から20代前半くらいまで、自分は人に受けとめられる存在ではないという感覚がありました。たぶんそれは親との関わりからだと思うんですけど、結局施設でも、無条件の愛情みたいなものを私は全然感じられませんでした。だから私は「バイトしなさいよ」って職員に言われたわけじゃなくて自分からバイトをしたし、高校受験も、塾でいろいろ情報を集めて自分で志望校を決めて合格して。高校時代の過ごし方も、貯金の管理をされる施設は多いと思うんですけど、私は自分で全部、貯金を管理していたんです。だから、大人を必要としなくても生きていけるように、中学高校の時になっていったと思うんです。 |
箱 崎: |
渡井さんはすでに自立心が育っていたのかと思いますが、施設で暮らしているのだから、もっと職員との関わりがほしいですよね。 |
渡 井: |
はい。高校の時に、母に言われたんです。父と私の取り合いをしたみたいなことを。でも、私はそんな、2人から必要とされているみたいな感覚は全然感じていなかったので、本当に腹が立つというか、あきれ返るというか、そういう感じでした。だから、自分が大人を必要とするという感じではなかったんです。 |
箱 崎: |
だからといって、一人でいろいろ考えて一人で決めてと、本人に任せっきりというのもね。そばに大人がいるのだから。 |
渡 井: |
そうですよね(笑)。でも私はもう本当に退所してから一人で生きていくんだという感覚がありました。それで早朝、4時から起きてバイトをしていたんです。 |
箱 崎: |
そんな朝早くから何をしていたんですか? |
渡 井: |
時々変えていたんですけど、ヤマト運輸の仕分けとか。 |
箱 崎: |
寒いし、力仕事ですね。 |
渡 井: |
はい。パン屋さんでも働いて、お惣菜パンをつくっていた時がありました。6時から8時までパン屋さんで働いて、その後、学校へ行くんですけど、眠くて学校で寝て、学校の帰りにほかのバイトしたりとかしていました。それで貯めたお金ですぐ原チャリを買って、それで移動していたんです。ある日、バイトですごく疲れてたんで、ちょっとうたた寝運転みたいなのをしちゃって、スクーターの前に載せてたバッグを落としちゃったことがあったんです。携帯や手帳とかも全部なくしちゃって、その財布の中に銀行のカードが入っていたんですね。私がヤマト運輸で働いてもらえるお給料が1カ月7〜8万円だったと思うんですけど、そのバイト代を丸々おろされてしまったことがあって。こんなに疲れるまでがんばっちゃいけないな、もうこういうことがないようにしようって、一人で失敗しながら勝手に学んでいった気がします。 |
箱 崎: |
児童養護施設にいるのに、一人で生きている感じなんですね。 |
渡 井: |
そうですね。その時はご飯とかも施設で食べなかったと思います。 |
箱 崎: |
どうしてですか? |
渡 井: |
高校の時はバイトをしていて、帰りが遅くなっていたし、中学の時からだんだん自立していって、朝も誰かに起こしてもらうこともなくて、自分で勝手に起きて勉強して学校に行ったし、誰よりも早く起きて、勉強やバイトをしていて。 |
箱 崎: |
夜は遅くに帰ってきて、一人で夕飯を食べたのですか? |
渡 井: |
バイトは、賄いが出るところがいいと思って飲食店で働いたりしてたんですよ。だから、そういう何か、一人で勝手にやっていることで生きる知恵がついてもいるんです。 |
箱 崎: |
なるほど。 |