社会的養護の当事者サロン「日向ぼっこ」の代表を務める渡井さんは、子ども時代は、親に多<
くの問題があったために壮絶な生活を経て、児童養護施設で暮らしました。その体験を生かして、施設出身者の居場所が必要と思い、サロンをつくり運営しています。また、社会的養護への理解、施設の在り方について、講演をするなど幅広い活動をしています。4月には著書が出版される予定です。
渡井さんに子ども時代のこと、施設での暮らしのこと、サロンをつくったプロセスや現在思うことなどを伺いました。 |
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箱 崎 : |
渡井さんは子ども時代、どのような家庭で育ったか、お話いただけますか?
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渡 井: |
母も父もそれぞれいろいろ課題がある家庭で育ちました。母の母、私の祖母が電車に飛び込み自殺していて、母は、後からお母さんになった方の連れ子さんに対してすごく劣等感を持っていました。また、母は小さい時に野球のボールが頭にあたって、てんかんになったみたいで、少しの間、施設に入所していたことがあるみたいです。 |
箱 崎 : |
そうでしたか。 |
渡 井: |
父は父で、まあ、父の父、私の祖父は教師で、天皇陛下から表彰されるような優秀な人だったみたいで、父の妹がちょっとできる人で、父は大学受験も失敗しちゃって、ちょっと劣等感があったようです。父は高知県生まれなんですけど、大阪に出てきて不動産業をやっていたんですが、ちょっと失敗してみたいで。それで、ウェイトレスをやっていた母と出会って、父は激しい人なんで、猛烈にアタックして、母の家族が恐れて無理やり結婚させられたようです。 |
箱 崎: |
お母さんの家族がお父さんを恐れたのですか? |
渡 井: |
そうです。父が母の実家によく来たみたいで、祖父が母に、「もうおまえ、嫁に行け」と言ったようで、母は、いやいや結婚したみたいです。私、長女なんですけど、私ができた時も母はいやだったみたいで、「産みたくなかった」と言っていました。母は夜逃げというか、よくいなくなっていたんです。父も悪い人じゃないとは思いますが、母がいなくなると荒れてしまって、お酒におぼれてしまって。 |