箱 崎 : |
アルコール依存症になったのでしょうね。
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渡 井: |
はい。だから、私が一番古い記憶って何だろうと思い出すと、父親がお酒を飲んで寝て、「酒を買ってきてくれ」と言って、私がお酒を買いに行くんですけど、部屋は足の踏み場もない状態なんですね、真っ暗だし。だから保育園にも行けないみたいな感じだったんです。母は、お金に困ったり、その時々、男性がいたようで、その人と折り合いが悪くなったりすると、家に帰ってきました。何事もなかったかのように。 |
箱 崎 : |
何事もなかったかのように、なんですね。 |
渡 井: |
私も母がいない時はすごく心配で、お月さまに「帰ってくれますように」とお祈りしたり、救急車のサイレンが鳴ったら、母が運ばれているんじゃないかと心配でした。まあ、そういう状態で、小学校に上がりました。私が小学校に通うようになってから上がってから、母は何を思い立ったのか、私と、3個下の妹と、5つ下の弟を連れて大阪から神奈川に夜逃げして、母子寮に入ったんです。 |
箱 崎: |
それは突然の展開で、子どもたちは戸惑いますね。 |
渡 井: |
はい。でも母は人との関係が築けなくて、すごくまた人と対立してしまうんです。 |
箱 崎: |
母子寮の人と対立してしまうのですか? |
渡 井: |
施設の職員や、入所している方とも折り合いが悪かったです。私が覚えているのは、駅のホームですごく怒鳴って喧嘩しているんですよ。それで母と一緒に走って逃げたのを覚えています。母は父と暮らしている時も、よく喧嘩していました。朝から怒鳴りあっていてそれを聞いている登校班の子ども達の中に入っていくのがすごくしんどかったことを覚えています。それで私は学校にあまり行かなくなりました。学校は当たり前の状態なのが普通で、普通ではない状態の自分はすごく疎外感を感じるところだったんです。学校も転々として馴染めなくて行けないというか、行かなかったですね。 |
箱 崎: |
そういう時って、学校の先生が心配して声をかけることはなかったのですか? |
渡 井: |
学校の先生のことは、あんまり記憶にないです。 |
箱 崎: |
そういう時こそ、親以外の大人の存在は大事なんですけれどね。 |
渡 井: |
私は、19歳ぐらいになるまでに、この人、カッコイイみたいな大人に、出会うことがなかったです。 |
箱 崎: |
それはすごく残念なことですね。 |
渡 井: |
そうですね。 |
箱 崎: |
母子寮には、どれぐらいいたか覚えていますか? |
渡 井: |
1年くらいだと思います。今はもうちょっときれいになっていると思うんですけど、母子寮に入所している方はそれぞれ課題があるじゃないですか。だからもう、水虫がうつったり、夜尿症なんだけど掃除できない方がいて臭いがひどくて。 |
箱 崎: |
あまり安心して生活できる場所ではなかったのですね。 |
渡 井: |
当時は安心とか、わからないじゃないですか、求めていないので。だから、母子寮の暮らしだけに限ったことではないですが、自分の親も含めて否が応でもいろんな人と転々としながら会って、今、振り返ってみると、社会にはいろんな人がいるみたいな感覚は、ほかの子よりいっぱい磨かれたと思いますね。特に若い時は障害がある人のことをばかにしたりする人もいるじゃないですか。でも、私はそういうのもなくて。 |