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第五回目のテーマは「社会的養護と当事者活動」
児童養護施設での生活体験者で、当事者活動をしている渡井さゆりさんとの対話です。
   
・・続き4
箱 崎 : あんまりにも移動が激しいから、記憶が少し曖昧になっていくのでしょうね。
渡 井: はい。それに自分で行きたいわけではないじゃないですか。そういうことになって行っているだけなんで・・・。
箱 崎 : 周りの近所の人との関係が悪くなると、もう引っ越すという選択肢しかお母さんにはなかったのでしょうね。
渡 井: そうですね。気に入らないことがあると、全部攻撃にとらえちゃう方っていますよね。母もそうなのか、すごく受けとめられたい気持ちが強いけれども受けとめられないで自分の所在を探しているみたいな感じで何度も転々としていたのではないかと。私も
豊中でも学校に行かなくなってすごく私もストレスがあったのか、母や弟妹とかに暴力を振るったことがありました。母はもう私の手をつけられないと思うのですが、私だけ小4の時に大阪の児童養護施設に入所することになりました。
箱 崎: イライラが募ったのは、渡井さんのせいではなくご両親に原因があるのだけれど、児童養護施設に入ることになったのですね。
渡 井: その時は、私は自分が悪いって思ってたんです。でも、後になって大学卒業する時に2年しかいなかったその大阪の施設に行ってみたんです。私のことなんて誰も覚えていないだろうと思いながら。でも、伺ってみたら覚えていてくれて、「おまえ、お母さん、どうしてんねん?」みたいに言われて、「お父さんはどうした?」とか聞かれて、ああ、何か、すごいな、よく覚えていてくれているなと思いました。 それで、「ずっとお父さんから逃げてたからなあ」みたいに言われて、ああ、やっぱりそういうことだったのかと思って。母は父から逃げるために、私がいるとちょっと大変だから、児童養護施設に入れたのだとわかりました。私を施設に入れた後、母たちはまた横浜に行っちゃったんですよ。だから、私はその時は、自分が悪いことして、自分だけ置いていかれたみたいな感じがあったんです。
 でもそうじゃなかったんだ、というのはそれから10年ぐらいたってやっとわかりました。入所中は、自分がどうして施設で暮らしているのかわかりませんでした。
箱 崎: 施設に入所する理由について施設の職員からの話はなかったのですか?
渡 井: 言われたのかもしれないですけれど、わからなかったですね。だから、結局残っている記憶としては、自分がちょっと悪いことをしていたから入所していたんだろうなあっていう感じでした。
箱 崎: 自分を責めながら施設で暮らすのはつらいですね。
渡 井: その頃、施設の中で万引きがはやってたんです。私も万引きをしていました。後からその施設の職員の方とまたかかわるようになって、「あの時はもうほんとすごかったのよ」って。「女の子の行事をなくしたくらい、女の子の中で万引きがはやってた」と話していました。別に欲しくて万引きするとかじゃないんですけれどね。
箱 崎: 人目を盗んで行動するのは、すごくドキドキするでしょうからね。それほどまでして欲しいかと言うとそうではないのですね。
渡 井: 何でしょうね。あんまり突きつめて考えたことがなかったんですけど、たぶん何か、ちっちゃな反社会的な気持ちの表れだったと思います。何か、どうせ自分のこととか守ってくれる大人とかいないじゃないですか。気持ちではそういう大人がいてほしいと思っているけれど、そういう存在ではなくて、その大人を欺くというか、何かそういうことだったのかなあ。。
箱 崎: 愛情の飢えから起こる無意識な行動なのでしょうね。
渡 井: はい。一方で良い記憶もあります。ご自分の家庭に連れていってくださった職員の方がいて、初めて普通の一軒家みたいな、庭があるようなおうちに行って、ああ、普通のおうちってこういうのだなあって感じさせてもらいました。その職員の方が「家へ帰った方が安定するんちゃうか」みたいな話で、私は母たちのいる神奈川に行くことになるんです。でも、そういうのも当時は知らなくて、また神奈川に行くんだという感じでした。
箱 崎: またお母さんと、妹と弟と一緒の生活が始まることになってどんな気持ちでしたか? 2年間離れて暮らしていて、また一緒に生活するっていうのは。
渡 井: よく覚えてないです。どんな状況に置かれたとしても、適応できることに長けていたというか、自分で言うと変なんですけれど、「ああ、そうなのねえ」っていう感じでまた生活が始まりました。
箱 崎: その状況に応じて適応するしかなかったのでしょうね。
渡 井: はい。だから、いわゆる家庭復帰、家族再統合みたいな感じになっても、家族と言っても、ほんとに家の中は足の踏み場もないし、冷蔵庫を開けても腐っているものしか入ってないし、母さんはいないことが多くて。私は、大阪の児童養護施設に入所している間に万引きを覚えたので、妹、弟の前で万引きするとかはよくなかったと今は思うんですけど、だから、気をつけてわかんないようにしていたんだと思いますけど、一緒にスーパーに行って、「ちょっと待っててね」と言って、お菓子とかを盗ってきて一緒に食べました。

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