青木悦さんは、教育ジャーナリストとして、執筆活動、講演活動に大変忙しくしています。ご自身が過酷な子ども時代を体験しています。その生きた体験がベースとなって、常に子ども目線で人々にとても大切なことを伝えています。青木さんは、権力的な大人目線の“しつけ”ではなく、大人は先に生きている者として、子どもに生きていくための術(すべ)を教えるという視点に立つことが必要だと言います。33年間、教育の現場で取材を積み重ね、安心できる家族とは?いじめの背景にあるものとは?と、教育の問題点について、ぶれることなく子どもの立場に立って伝え続けています。
青木さんの生き方そのものが、生きていくための術を教えてくれます。
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箱 崎 : |
私も自分が、父親のアルコール依存症で、子どものころは母もかばってくれることはありましたけれど、「お父さんとうまくやってよ」っていう母が目で訴えてくるのが伝わってきました。だから子ども時代だけでなく、大人になってからも、なかなか母親と信頼関係が築けなくて。やっとようやく最近になって、少しずつ高齢の母と会話ができるようになってきたかなって感じています。小さいトラブルは絶えませんが(笑)。
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青 木: |
よかったねえ。私なんかそういうことはないままでしたから、うらやましいわ。 |
箱 崎 : |
母と娘の関係について、先日の青木さんの講演会でも話が出たかと思うんですけど、青木さんはお父さん、お母さんと一緒に暮らされた時期がありましたよね。でもやっぱりうまくいかなくて離れていって、私もそうですし、私の知り合いとか、悩んでいる方たちってみんなそうなんですけれど、どう最後に親と折り合いをつけるかっていうのって大きなテーマだと思います。青木さんは親と最後の折り合いはつけられなかったと話されていますね。 |
青 木: |
うん、全然。 |
箱 崎 : |
それでも、もうそれはそれでいいんだって思えたわけですね。 |
青 木: |
思えたの。 |
箱 崎 : |
その辺のお話をお願いします。 |
青 木: |
あのね、折り合いをつけるっていうのは無理なんだっていうふうに思ったんですよ。それはね、形の上では折り合いがつくかもしれないけど、少なくとも父と折り合いをつけるっていうことは、私、もう不可能だっていうのが分かっていたしね。両親は高齢で時間がない。でも母や父の寿命があと10年延びていたらつけられたかって言ったら、私の方が納得するだけの問題であって、お互いが独立した大人、一人の人間として理解し合うことは不可能だなっていうふうに思ったんですよ。だから、無理してそれをすることもないかなって思って。
「全く寂しい感情がなかったか」って言ったら、それはうそになります。そう自分で思いを決めるときって、結構、そんなもんか、それでいいのだろうかなんていうような迷いもあったんですけど、やっぱり自分の意思で選ぶ関係っていうことに、私はうんとこだわってきたしね。そのことで納得いったのは、自分の息子との別れのときなんですよ。
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箱 崎 : |
息子さんが自立されたときに。 |
青 木: |
そうです。完全に息子が自立をしていくときに、ああ、そうなんだ、私も自分の親と分かり合おうなんていう幻想はもう断ち切ったはずなのに、自分の息子に、何で分かってくれないのと思うのもおかしな話だなとかね。
私は野生の生き物の番組をよく見るんですけど、私。ライオンなんかでも年取ったら、別に涙の別れもなく、すっと別れていくじゃないですか(笑)。人間もそうなんだって。そのときに何もけんかしなくたっていいけど、手を取り合って「お母さん、分かり合えた」っていうこともあり得ないなっていうふうに。 |
箱 崎 : |
そうですね。 |
青 木: |
だから、お互いの心の中の問題なんだから、形で折り合いをつける必要は全然ないんだなっていうふうに結論出しちゃったのが、この『泣いていいんだよ』を書いたころですかね。だから、全然、あんまりこだわらなくなってしまった。 |