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第六回目のテーマは「生きていくための術」
教育ジャーナリストの青木 悦さんとの対話。
   
・・続き5
母に置き去りにされた記憶
箱 崎 : 小学校はどうでしたか?
青 木: 小学校はね、自分のことは全然言いませんし、まだ中村市でしたので、母からの強い縛りっていうのかな、「周りに言うな」って。要するに、小さな町ですから、道を歩けば親戚と出会うような町でしょう。母は世間体をすごく気にする人でしたので、父の暴力を隠していたんですよ。私は周りに何も言えない。学校でも本当に物を言わない。だから、今私がこんな仕事をしているなんて、そのころの友だちが見たらびっくりしちゃうぐらいに学校ではオドオド、オドオドしていましたね。それで、怖くて学校からすぐ逃げ帰るんですよ。
私には学校に一度も行けなかった母方の祖母がいて、その祖母にとっては私が学校から逃げ帰るなんてとんでもないことなんですよね。明治の初めの生まれの人で子守奉公に出されて行けていないわけだから。だから、祖母に叱り飛ばされて、また家から学校に帰るんですけれども、やっぱり怖くて集団がすごく苦手でしたね。
箱 崎 : 家庭での環境も影響していたのでしょうね。
青 木: そうですね。秘密を抱えているっていうのもあるし、自信が持てないですからね。
特に男の子の「ワァー」っていう叫び声とか、時々先生が冗談で怒鳴っているよう
な声とか、そういうのにもビクンとする、要するに、いつもビクビクしていました。
それに、高知市に10歳で来て、言葉が、アクセントが同じ高知県でも違うんですよ。中村の方が関東式アクセントで、今しゃべっているようなアクセントなんですが、高知市は完全に関西アクセントなんですよ。だから、本を読んだりすると、みんなにすごく笑われるんです。クスクス、クスクスね。それで、余計イヤになってしまって。
そうしたら、かばってくれる友だちがいたんですよね。「そんな、言葉で笑うのはおかしい」とか。それから、学校の先生も、その先生の言い方も今考えたら問題ありなんだけど、「私のしゃべっている言葉の方が東京の言葉に近くて正しいんです。みんなの言葉の方がおかしいんです」なんて言ってくれて(笑)。それはもう、かばう意味だったんでしょうね、きっと。それで軽いいじめではありましたが、みんなのいじめがやんでいって助かったんです。
そんな学校時代で、結構学校では早太りっていうんですか、体が大きかったので、みんなより早く成長して。家庭での苦労もしているからでしょうね、他の子に対してお世話をするようになっていって、それで、何となくリーダー的な部分もあって。その一方で、いつも心の中には、みんなに嘘をついているっていう思いがずっとありました。何の苦労もないように思われたりして、でも、うちに帰ると父の暴力は続いていましたので、それは隠し抜いているという。。
箱 崎: 小学校の子どもが抱える秘密としては、重すぎますね。
青 木: そうなんです。結構きつかったですね。
箱 崎: 自分の家族のことは知られると恥ずかしいから先生にも話せない感じという。
青 木: 先生もいろいろでしたから。いい先生もいたんでしょうけど、細かい家庭のことまでってなかなかしゃべるっていうわけにもいかないし。とにかく、自分の家は恥なんだという、私の劣等感ですかね。結構あのころっていろんな子がいたんですよ。親が刑務所を出たり入ったりしている子とかね。本当にそういう意味ではみんな問題ありの家庭ばっかりだったんだけど、やっぱり私はす自分をごく恥じてましたね。何で殴られてそれを恥じなければいけないんだろうって、後になって思うけど、あのときはやっぱり恥ずかしいんですね、自分が嫌で。
箱 崎: 何か、ほかの人と違うということが、一番引っかかるんですね。
青 木: そうなんです。やっぱりすごく心配したのは、父が暴れ出すと、棟割り長屋みたいな壁の薄い家に住んでいたんで、隣近所に聞こえるじゃないですか。それをすごく母が恐れるんですよ。その恐れている母を見るのが、またこっちはつらくて、何とか早くお父さんを寝かせなきゃいけないと。
それでまた、兄がだんだん思春期にもなっていたので抵抗するわけですよ、どうしたってね。そうしたら声が大きくなっちゃうし、つまらないけんかをよく親子でしていまして、その声が近所に漏れるんじゃないかと。今思うと、漏れ漏れだったと思います。だけど子どもだから、漏れてないはずだ、漏れちゃいけない、そんなふうに思ってやっていましたね。

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