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箱 崎 : |
私は、青木さんのご著書の『泣いていいんだよ−母と子の封印された感情』を読ませていただいて、勿論お父さんのこともありますけれども、それ以上に、お母さんにおいてきぼりにされるところが、とても辛かったです。 |
青 木: |
あれは一番ね。読売新聞の「私の子供時代」というタイトルのコラムの取材を受けたときに、その記者の人が、「やっぱりそこにきた」って、言っていました。記者の方が「でも、ここをクローズアップしちゃうと、子育て中の親が、ついかあっとなって子どもに“あんたなんか知らない”って言ってしまうことまでいけないという風にとられると困るので、ここは強調しません」って言いました。私はその記者の方には「そうしてください」と言ったんですけれどね。でも、こういう問題で悩んでいる人にとっては一番のポイントになるところなんですよ。 |
箱 崎 : |
そうですね。私もそう思います。 |
青 木: |
あそこで、本当に怖いというのは一人なんだという、自分はひとりぼっちっていうね、「よるべない」なんていう言葉が、私、もうよくわかりますよ、意味までも。頼るものがないという。 |
箱 崎: |
そうですね。 |
青 木: |
だから、今でも私は暗闇では寝られなくて、団体行動は苦手ですね(笑)。 |
箱 崎: |
青木さんの著書では、そのときの記憶がすごく丁寧に書かれていますね。やっぱりずっと消えない、忘れられない記憶なんですね。 |
青 木: |
消えないですね。母にもはっきりそこは言えてないままで、もう母は死にましたけど、母が幼い私の手を離して行ったときに、あったかだった自分の手のひらに、すうっ冷たい空気が流れた。それはすごくよく覚えているんですね。もう、60年前です。私は今、63歳ですから。でも、その感覚っていうのはやっぱり覚えているんですね。 |
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箱 崎: |
そうですよね。私はよく子育て中のお母さんの話を聞く機会があります。その中でやっぱりご自身の母親との関係に悩まれている方はすごく多いですね。 |
青 木: |
多いです。 |
箱 崎: |
全く同じ体験ではなくても似たような体験で、子どものときに母親が自分のことを無視したとか、自分のことを邪険にしたとか、そういう記憶にすごく傷ついていて、父親との関係よりも母との関係の方が深い傷になっている人が多いように思います。 |
青 木: |
それはありますね。 |
箱 崎: |
それはどうしてなのかなと、私も自分のことを振り返って考えることがあるんですけれど。 |
青 木: |
そうなんですよね。父も母も親として同じなんだから、お母さんに冷たくされても、お父さんがあったかければ救われたと言ってもいいはずなのに、案外そういうのは少ないですね。 |
箱 崎: |
そうですね。 |
青 木: |
だから、やっぱりお母さんというものに対する愛着というのは、一種独特なのかな、おっぱいにつながるような。だから子どもが自立していくときは今度は一番母親が執着してしまいがちなんですけどね。そういう意味では、お母さんに深い意味を持たせちゃうのも困るんですけど、母と子というのは、やっぱり生き物としての部分で、離れるにしても、くっつくにしても、男の人、父親よりはきっとべたっとした重い関係があるんでしょうね。 |
箱 崎: |
そうなんですね、重く深いかかわりがあるんですよね。 |
青 木: |
何か生き物的な感じがしますよね、人間っていうよりは。人間も生き物なんだけど、もっと生物学的な、恐怖心って言えばいいのか |
箱 崎: |
ああ、それはすごく、あるんでしょうね。 |
青 木: |
野生の生き物だって母親に捨てられたら死にますもんね。 |
箱 崎: |
そうですね。生存にかかわる感覚なんでしょうね。 |
青 木: |
私は父がひどくても、母がとにかくかばってくれる人だったので、あのころは、もう自分の世界が本当に母だけでしたね。その母に、母もいらついていたんでしょうが、一瞬でしたけど、邪険にされて。それからもう本当に母も疑うようになってしまって、しばらく大変でしたね。 |
箱 崎: |
かなり小さいときですよね。 |
青 木: |
2歳下の妹が赤ん坊ですから、4歳ぐらいですね。 |
箱 崎: |
やっぱりそのあたりの記憶がすごく鮮明なんですね |
青 木: |
あります。ものすごく鮮明にあります。 |