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第六回目のテーマは「生きていくための術」
教育ジャーナリストの青木 悦さんとの対話。
   
・・続き2
箱 崎 : それは何歳ぐらいですかね?
青 木: 何歳ですかねえ。
箱 崎 : 4、5歳ぐらいですか
青 木: もっと下ですね。
箱 崎: もっと小さいときですか?。
青 木: ええ。「3歳ぐらいだ」って、母は言うんですけれどもね。「そんなに小さいときのことを覚えているのかね、覚えているはずない」って母が言いきるんで。「でも、私の記憶にあるんだわ」と、母には言っているんですけれどね。
箱 崎: 青木さんははっきりと覚えていらっしゃるんですね。
青 木: はい。いつも暗くて怖いイメージがあって、それに四万十川の上の方に家がありまして、四万十川は大きな川ですから、ゴオーっという川の音がいつもしているんです。それに竹藪の風がグオーって鳴っていて。母に「そこのところが全部イメージとして重なって聞こえる恐怖心みたいなのがどんどん形作られていったのか」って聞いたら、「実際にそういうのがあった」って母は言うんですよね。「確かに家は大きな竹藪のそばだった」とか、「川はいつも鳴っていた」とか。川が「鳴る」っていう言い方をするんですけれどね。
箱 崎: 川が鳴る。
青 木: はい。「鳴る」って言うんです。鳥が鳴くっていう意味の「鳴」という字を書いて、「そういえば川が鳴っていたね」なんて。だから、本当に子ども時代は、そういう恐怖心が常にありましたね。その一方で友だち関係はすごくあったかくて、山の日だまりの中で近所の子ども同士が集まってワイワイ遊んでいたとう記憶もあるんですよ。だから、四六時中ずっとおびえて暮らしていたということでもないんです。全部が全部ということではないんですけれども…。その中村市で10歳まで育って、私はいつも四万十川を見ていました。山の中腹や家の裏から。
箱 崎: どんな思いで川を見ていたんですか?
青 木: 四季折々すごく変化するんですよ、本当にきれいな川ですからね。季節があることとか、それから季節の変わり目とか、そういうのをみんな川で教えてもらったというような。すごく辛いときも川に下りて行って水を見ていたら、何となく癒されたとか。まあ、今だから思うんですけれどもね。そのときはそんな風に思えなくて…。

私にとってはやっぱり祖父母の存在がすごく大きいんです。祖父母といっても父の本当の両親ではなく、父にとってはおじ夫婦なんです。おじ夫婦に子どもがいなくて、甥っ子の父を養子にしたんです。だから、本当の祖父母じゃないんですけれど、その祖父母がすごくかわいがってくれたんです。いつもおじいちゃんが山に連れて行ってくれて、「ここへ行けばイタドリがある」とか、「ここの湧き水は飲んでいいけど、こっちの水は飲んじゃいけない」とか、いろんな生活の技術をすごく教えてくれる人でした。

おばあちゃんは、当時、みそも醤油も胡麻も全部手作りでしたね。だから、一日中、くるくるくるくる働いている人でした。私はおばあちゃんの手作りの作業を手伝っているときはすごく楽しかったです。
胡麻は畑でできるなんて、そんなの当たり前のことだと思って育ったんですけれど、自分の息子から「胡麻ってどうやってできるの?」って聞いてきたときに、ああ、やっぱり時代は変わったなって、すごく思いましたね。
箱 崎: 体験しないと、なかなかわからないですよね。
青 木: 本当にね、こんなホウセンカみたいな実の中に胡麻がいっぱいできていて。乾燥させると、パーンとはじけて、中にいっぱい胡麻粒が入っているんですよね。それを収穫したり、小豆を採ったりするのを手伝っていましたね。おじいちゃんは川でアユを釣ったりしていました。もう本当に自然の暮らしでした。だから、都会で父親にずっと殴られて育つというのではなかったので、私の場合は、楽だったかも知れませんね。でもそれは、後でわかったことですけれどね。
 

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