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続き2・・・ Aさんの手紙を読んで協会に手紙を寄せたSさんも、Aさんと同様の特別養子縁組で、一歳六ヶ月の子を迎え入れました。しかし十四年たっても子どもと〈親子になる〉ことができないでいるといいます。その理由をSさんもやはり子どもの性格に求めています。 「ごく普通の家庭で、他の家の子と同じように育てているのに、どうしてこの子だけが次々と問題を起こすのか不思議です」。そして導き出したのが、子どもの性格は生まれつきだという考えです。だとすれば変えることはできない。 「この子は一体どんな親から生まれたのだろう。生みの親を恨み、持って生まれた素質を憎みます。この子は私の子ではない、と発狂したくなる気持ちでした」。 Sさんの絶望感がいわせた言葉です。 A子さんもSさんも、できるなら親子の縁を解消したい。けれど法律が壁になってそれもできない。子の福祉だけを考えて親の逃げ道を閉ざしている特別養子縁組という制度に呪詛を投げかけ、子どもを紹介した協会とスタッフの岩崎さんを恨んだり、憎んだりしているのです。 さらには養子縁組をしたことをめぐって夫婦間で責任のなすりつけあいをし、夫婦仲が こわれてしまったなどという話も耳にします。 しかし子どもといい関係を作れない、あるいは「親子」になれないのは、その子が養子だからでしょうか。養子であるため、生まれてから養子として迎え入れるまでのあいだに空白があり、その間「刷り込み」とか「しつけ」がされなかったということが要因なのでしょうか。 この考えははっきりと間違っています。 週末里親のYさんはAさんにこう書き送っています。 「私には二人の娘がいます。上の子は何の心配もなく育ちましたが、下の娘はAさんの子どもさんと同じでした」。 要するに実子だって、「問題行動」を起こし手のつけられない子どもになるものだというわけです。実に明解です。 実子だから養子だからといったことが重要なのではなく、その子どもとどのようなかかわりをしたかが問われるのだと思います。 話をAさんに絞りましょう。 B子〈親子になる〉ことができないことに対するAさんの憤懣は、協会の岩崎美枝子さんに向けられていきます。ここは文章どおりを引用しておきます。 岩崎さんは、きっと「小さい時の甘えが足りない」とか「どこまでもその子のすべてをまるごと受けとめてやれば良い」とか言われるかもしれません。でも、社会の中の一員として生きているわけですから、子どもといえどもその年齢相応の最低のモラルが要求されます。そのぎりぎりのところで私達なりに受けとめ頑張ってきたのですが、私達は、子どもの人間形成になんらの影響も与えることが出来ません。 (次ページへ) |
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