〈親子になる〉ということはむずかしい。そのむずかしさの大部分は、子どもを里子として迎え入れ、育てたいと願う里親の側に要因がある、里親の子どもへの向かい方が〈親子になる〉ことを阻んでいる、そう筆者は思っています。
こう記すと強い反発を受けるか、そっぽを向かれる、そのことは経験上承知しています。それでも反発を覚悟の上で、里親の側の要因を、なるべく曖昧さを残さないように記しておかなくては、という思いのほうが強いのです。
これから紹介するのは、家庭養護促進協会の現スタッフと元スタッフが執筆した『親子になろう!』(あたらしいふれあい第3編 晃洋書房 二〇〇〇年)という本のなかに出てくるAさんという養親の手紙です。手紙の宛先は、家庭養護促進協会の中心スタッフである岩崎美枝子さん。
内容は、およそ深刻きわめたものです。
Aさんは、協会のなかだちにより、三歳十ヶ月のB子を特別養子縁組で我が子として迎え入れたのです。それから十年が経ち、B子はいま中学二年生。
この間「おさだまりの数々の艱難辛苦」(試し行動のこと)を乗り越えてきたけれど、いまもってそのB子との関係がうまくいかない、否、親子になれない。Aさんの言い分は、B子の性格に問題があるからというのです。
努力も我慢もできない性格。このB子の「性格的傾向」にはAさんは早く気づいていたといいます。気づいていたので、「少しずつ努力して得られる達成感の喜びを何とかして体験できるよう、私なりにいろいろと考えて導いてきた」つもりでした。なのに、まったく効果がない。いつまでたっても自己確立がなく、周りとのトラブルが限りなく起こるといいます。
具体的には、朝起きられない、髪を染める、小遣いをいくらでも欲しがる、なんでも買いたがる、自分の思いが通るまでとことんぐずる。他人がびっくりするような非常識なことを平気でする、約束事を守らない・・・。本人はしたいようにしかしないことにより、家での生活はもちろん、学校という社会のルールからもだんだんはみだしているというのです。
こうしたことについてB子と話し合っても、わかったというのはそのときだけ。学習する気がなく、毎日同じことをかたちを変えて繰り返し、Aさん夫婦を苦しめるというのです。
「ほんとうに空しい毎日です」――― Aさんのあげた悲鳴です。
こうしてAさんは、一つの結論に達します。
「今つくづく思うことは、一歳なら一歳、二歳なら二歳の時に刷り込んでおかないといけない事は、後年になってどんなに努力して刷り込んでも、それはその子自身の血や肉にはならないということです」。
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