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続き3・・・

 さてAさんの手紙を読んだもう一人のHさんは、Aさんと同じだった自分をふりかえり、手紙にこう書いています。
 「苦労の最中は周りのことが見えず、私が悲劇のヒロインでした。でもその苦労が現在のわたしに育ててくれたと感謝する毎日です」。
 Hさんはあるとき、はたと、親だけが子どものことを思っているのではなく、子どもだって親を思っていることに気づかされた、と書いています。
 筆者のいいたいことがここに記されています。自分だけが「悲劇のヒロイン」になっていないか、ということです。
 どうしてそうなってしまうのでしょう。
 その点をAさんの手紙に即してかんがえてみたいと思います。

 手紙を一読してすぐにわかることがあります。
 それはAさんが、家庭養護促進協会が事前におこなっている子を育てたい夫婦のための養親講座で、担当の岩崎美枝子さんが口をすっぱくして説いたであろうことに、まるで耳を傾けようとしなかったということです。
 引用箇所をみてください。岩崎美枝子さんを責める箇所で、Aさんの使っている「でも」という継続詞とそれに続く文章がそのことを語っています。Aさんは、岩崎さんの説いた言葉を退け、自分の考えを正しいものとみなし、B子にその自己流を押しつけてしまったのです。

 家庭養護促進協会の養親講座で、岩崎さんはまず以下のことを聞くことにしているといいます。
 (1) 他人の子どもを養子とし、親子になるためには、「どうなるか判らないことに、あなた達は残りの人生の全てを賭けるという決断ができますか」。
 これに「できる」と答えた人に対し、次に伝えるのが「試し行動」に関する情報です。
 (2) 迎え入れてすぐに始まる子どもの要求、行動は試し行動と呼ばれるが、試し行動は見せかけの時期と試しの時期の二段階があり、見せかけの時期は「いい子」にふるまうけれど、試しの時期は里親の困ること、嫌がることばかりを次々に要求し行為するということ。こうした試し行動をまるごと受けとめて欲しいということ。少なくとも最初の半年間は、子どもに要求しないでほしいということ。子どもの行動や子どもの要求を否定しないでほしいということ。逆に子どもの行動、子どもの要求をまるごと(無条件で)受けとめてほしいということ。

 岩崎美枝子さんは以上のことを伝えたはずなのです。
 ところがAさんは、岩崎さんの言葉に素直に耳を傾けなかったのです。言葉は聞いていても、そのことの重大さを自己流の理屈でもって退けてしまったのです。岩崎さんはそういうけれど「でも」、年齢相応の最低のモラルというものがあるでしょう、というように。
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