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続き4・・・

 子どもは受けとめられたいのに、受けとめられないため、ちっとも満足しないのだ。ただ食べただけで、受けとめられたという感覚が生じないからだ。これが続けば、吐いてまで食べるようになる(過食嘔吐)。食べ物に執着する意地汚い子ども、要求がましく・落ち着きのない子どもができあがる。

 一般に過食が生じるのは、環境が変化した直後である。過食は養護施設でもファミリーグループホーム(専門里親)でも自立援助ホーム(年齢が一五歳以上と高い)でも、子どもが入所してきた直後から起きることが知られている。また過食は制止しなければ、ほぼ三ヶ月で終わるといわれている。

 このことは新しい場所での不安と緊張が過食というかたちで表出され、その表出がまるごと受けとめられることによって、不安と緊張が安心と安定に変わっていったことを告げている。この場所を、子どもは安心して安定的に自分が自分であっていいのだという、自分の居場所とすることができたことを語っている。

 不安と緊張とは、受けとめきれない現実=受けとめきれない自分がそこにあるということを意味する。その表出としての過食であって、過食が認められるということは、その表出が受けとめられたこと、過食が終わったということは、受けとめられ続けたことを物語っているのだ。

 以上のことから〈親子になる〉というプロセスがパラドックスに満ちていることを知ることができよう。「受けとめ―受けとめられ」の相互体験こそがそのパラドックスに満ちた〈親子になる〉プロセスをリードする核なのである。(第5回目 了)


 
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