第二回目のテーマは、「依存症と子ども虐待」アディクション・カウンセラーで依存症の回復者の
スコット・ジョンソンさんとの対話です。
   
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |  
続き3・・

箱 崎 : 私の家もそうでした。酒を飲んで怒鳴る父に私はごめんなさいと謝まり、父は私に怒鳴ったことを謝り、その場はおさまり、また何事もなかったかのように日常が繰り返されていました。それが当り前になっていきました。それが異常なことだと知ったのは、30歳のときです。
発達障害とDV
スコット : 気づいてよかった。私はそれプラス、家族の良いイメージを取り繕わなくてはいけなかった。外側は、とりつくろって、私たちはジョンソンファミリーだ、と全く問題はない、普通の家庭だというイメージを固めなくてはいけなかった。そのイメージを保てなくなると、引っ越す。その地域を離れることを繰り返してきました。年に1回以上、引っ越さなくてはいけなかった、ということが加わって、友達と仲良くしてもまたすぐに別れなくてはならなかった。

自分には、愛着の問題が大きくあった。引っ越すことが、必ずしもすべて悪いわけではなくて、いろんな国や文化や人々と出会えたといういい部分もあるけど、意味のある愛着や親しさを築けなかった。調査によるとヘルシーな愛着がある子どもは、身体の成長、神経、脳の発達が正常だけれど、ヘルシーな愛着がうまくいかない子どもは、身体も非常に貧しい発達で、ADD、ADHDといわれる発達障害の子どもたちと、アルコール依存症や薬物依存症との間には関係がある、ということがわかってきています。
箱 崎 : それはどういうことなのでしょうか?
スコット : 親がアルコール依存症ゆえにネグレクトがあり、ADDと診断される障害が起こる。ADDの子どもたちはちゃんと面倒を見てもらえていない、ネグレクトされている。それゆえにADDという発達障害となり、そう診断されてしまう、ということが起こっているのです。私の弟もそうだったけれど、ADDの子どもは、他の子どもと同じように公立学校に行けない、と言われてしまう。弟は、非常に強い怒りを持った子どもでした。私は長男だったから、ヒーローの役割をしていたのです。
箱 崎 : 親がアルコール依存症であるために、子どもはネグレクトされて、物質的なこと以外は、 親に関心を持ってもらえなったことで、心と体が充分に発達できなくなることがわかって きたのですね。アルコール問題を抱えた家族の中で育った、その環境がゆえに。
スコット: そうです。もう一つ依存症と切っても切れないものがDVです。私の家では、DVもよくありました。DVにさらすことも虐待だからね。よく夜になると、親の喧嘩を聞いて過ごした。殴られる子どもの多くは依存症のある家庭で育っています。私は小さいとき、両親が喧嘩して、母親が酔っ払ってわめいて、父親も酒を飲んで酔っ払ってうるさいと怒鳴っていました。

そういうとき、私は、弟と妹のベッドルームのドアを閉めて、彼らが両親の喧嘩の声を聴こえないようにする。それが私の仕事でした。それだけだったら、そんなにひどいことではないと思います。何がおかしいかというと、朝起きて、母親は朝食の準備を笑いながらしていました。まるで何事もなかったかのように。毎日、そうやって同じことが繰り返される。それがおかしい。

そういうダイナミックスが起こるのです。そんなクレイジーなことが起こっているにも関わらず、何事もなかったかのように振舞う。そういう日常に私は大変混乱しながら、子ども時代を過ごしました。
箱 崎 : 私も、両親が私のことで喧嘩をしているのを見るたびに、自分のせいだと思っていました。それはどうしてなのでしょうか?
スコット : 子どもというのは自己中心的だから、この狂気的な状況を自分のせいだと思うのです。私は小さい頃から、自分は愛される価値がない、愛される価値があるなら、親はこんなに喧嘩するわけがない、自分のことをもっと愛してくれるだろう。自分がもっといい子で、食事を作ってあげたり、弟や妹の面倒をもっと見て、学校でもオール5を取って、スポーツでも秀でていれば、親は酒を飲まないですむだろうと思っていた。それができないから、自分のせいだと思っていました。親が飲まない日はあまりなくて敗北感を感じていました。
次ページへ
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |  
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.