第二回目のテーマは、「依存症と子ども虐待」アディクション・カウンセラーで依存症の回復者の
スコット・ジョンソンさんとの対話です。
   
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続き2・・

箱 崎 : まず、スコットさん自身の子ども時代について、初めて、スコットさんのことを知る人にもわかりやすく、お話いただけますでしょうか?
スコット: 私は小さい時は子どもだったのですが(笑)。子ども虐待とアルコール依存症は、切り離せないと言ったけれど、アルコール依存は家族全体の病気、家族全体に影響を及ぼします。長い間にどのように作用されるかよく理解できるようになりました。アルコール依存は、家族誰一人残らず、全員に影響を及ぼします。それは寄生虫みたいなもの。依存症は親、子ども、世代を問わず、ずっと影響を及ぼすのです。

祝祭のときに羊をささげるように、犠牲者、いわゆる黒い羊になるのが依存症の本人です。時々、依存症者が死んだりして、表に問題が出るけど、本人が死んだからといって問題が消えたわけではない。家族の中にアルコール依存の問題は生き続けます。
箱 崎 : 私も父親がアルコール依存症だったので、よくわかります。私が19歳のときに、アルコー ル依存症の父親が亡くなったときに、この問題は終わると思っていました。でも実際は そうではなく、それから、いろいろな問題が出てきました。
スコット : はい。私の子ども時代もそうでした。いつもアルコール依存症者がいて、その本人だけに関心が向けられていた。子ども虐待に関していえば、私はよく殴られてはいたけれど、頻繁に骨が折れたりという激しい暴力はなかった。そういう暴力を受けている人はいっぱいいるけど、自分はそうではなかった。食事を与えられなかった覚えはないし。
箱 崎 : では、スコットさんの受けた虐待とは、どのようなものでしたか?
スコット : キーワードはネグレクトだと思う。いつも依存症と手を取り合うのがネグレクトです。 子どもには、安心感が必要です。次に何をするか、ちゃんと行動の予測のつく親が必要だけれど、私にはそういう親は与えられなかった。全く予測のつかない行動をする親だった。生活の環境もコロコロ変わった。

少なくとも、1年に1回は引越しをした。州から州へ、町から町へと。親がいつもとらぶって、同じところにいられなくて引っ越す。その繰り返し。親は、私や弟や妹に関心を向けることはありませんでした。自分のことでいっぱいだからね。一緒に遊んだり、こうするんだよと教えてもらったりすることもなかった。逆に、弟や妹の面倒を見たり、母親の面倒を見ることが、子ども時代の私の役割でした。
箱 崎 : スコットさん自身が、弟さん、妹さん、そしてお母さんの親代わりをしていたのですね。
スコット : はい。そういう子どもたちが、成長して、自分がアルコール依存症になる。依存症のある家庭で育った子どもとそうでない子どもを調査したところ、依存症のある家庭で育った子どもは、そうでない子どもの5倍、本人がアルコール依存症になる確率が高いことがわかりました。本人がアルコール依存症にならなければ、アルコール依存症の人と結婚する。そして同じパターンを繰り返す。
箱 崎 : はい。私の母方の祖父は、アルコール依存症で、母はアルコール依存症にはなりませんで したが、アルコール依存症の父と結婚しました。お見合い結婚だったのですが。
スコット : そうやって、パターンが繰り返されるのです。機能不全のモデルをノーマルだと思ってまねするため、繰り返すのです。
箱 崎 : 親から受けた虐待で、特に忘れられない体験では、どんなことがありましたか?
スコット : 今もはっきり覚えているのは、母親が50センチぐらい木の棒で、私を叩いたことです。1時間ぐらい私の顔を見ながら、彼女の怒りがすべて消えるまで私を叩く。母親は私を持ち上げて空中に浮いた状態で、私の首を捕まえて叩く。そうして虐待した後、母は必ず後悔します。私の顔を見て、「申し訳なかった。愛している」といい、叩く必要があったと言って言い訳をする。狂ったメッセージです。

あれだけのことをしておきながら、愛しているといわれる。全く違う行動をするので、自分がいるからお母さんはこんなに怒るのだと思ってしまう。そんな自分には殴られる価値がある、と自分を恥じることがどんどん増していく。自分の価値観が非常に低くなってしまう。本当はそんなもんじゃない。

でも、そういったことすべて、まあ耐えられたわけです。それがすべてノーマルだと思うようになって、正常化していった。家族とはそういうものなのだ。お互いに愛しているなら、ぶんなぐって、お互いに喧嘩してののしりあって、それは全部子どものせいだから、子どもにした後、後悔してごめんねという。また同じことをくり返す。これがノーマルだと思ってしまう。ハッピーバースデーをする代わりに、あるいは、静かに家族で食事をする代わりに、親が一緒に宿題を見てくれる代わりに、このクレイジーな状況がずっと続いていました。

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