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続き2・・・

自分で自分を受けとめられるようになること、自己受けとめにいたるこのプロセスをイノセンスの解体と呼んでいる。イノセンスが解体されるには、何度も繰り返すけれど、表出されているイノセンスを、受けとめ手が受けとめなければならない。

 甘えというイノセンスの表出の一形態を例にとってみる。甘えは、愛着行動と重なるようにして愛着行動の次くらいに早期に現れるイノセンスの表出形態である。
 甘えは満たされれば、甘えたいという欲求は消失する、この単純な事実は次のようなプロセスとして図式化できる。
@甘えの表出→A受けとめ手による甘えの表出の受けとめ→B甘えという欲求の消失(解体)
この図式のうちのA受けとめ手による甘えの表出の受けとめは、実現されたとき、それ
が子どもの側からすると受けとめられ体験である。
 幼児が母親に向かって手を広げて「抱っこ」という。これは母親を抱っこしたいという欲求表出ではない。母親に抱っこされたいという表出(欲求表出)であることは明瞭である。
 この「抱っこ」されたいという甘えの欲求がどこから発生するかはさまざまであって、
一つに特定することはできない。ただ明らかなことは、抱っこが満たされれば、子どもはいつまでも抱き上げられた状態に執着することはない。降りると主張し、降りて一人で立ち、一人で歩き、一人で遊ぶことができる。

 これらのプロセスが語ることは、このイノセンスの表出すなわち受けとめられ欲求の表出は、受けとめ手に受けとめられることによって、解体する。解体するということは、自己受けとめが可能になるということであり、受けとめ手を求めなくなるということだ。
 添い寝という欲求表出も同じだ。すなわちひとりで寝るという現実を受けとめきれない
子どもは、母親に(父親に)不安や恐怖を訴え、いっしょに寝て欲しいという。添い寝という欲求が満たされれば、子どもは眠りにつくことができる。つまり誰かがそばにいて自分を受けとめてくれるという安心と安定を得られるなら、不安や恐怖は取り去られ、子どもは自分を自分で受けとめることができるようになるのだ。

 逆に親が子どもを早く寝かせ、早く子どもから解放され、早く自分の時間を持ちたいという気持ちが先立てば先立つほど、子どもは寝てくれない。母親は体としてはいても、受けとめ手としての母が不在であることを子どもは感じとって、存在の安心感、安定感を得られないからである。(**)
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