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ヘネシー澄子(へねしーすみこ)
 昭和12年横浜生まれ。東京外国語大学仏語科卒後、ベルギーとアメリカに留学。ニューヨークのフォーダム大学で社会福祉学修士号を、コロラドのデンバー大学で博士号を獲得。ニューヨーク大学社会福祉大学院助教授を経て、昭和49年コロラド州に移住し、インドシナ難民の為、アジア太平洋人精神保健センターを創立し、所長としてPTSD患者の治療を主にする73名のアジア系精神保健セラピストを養成し活躍する。
 平成1年、コロラド州女性名誉殿堂入りをはたす。平成12年引退し、新制の東京福祉大学で実習担当主任教授として日本に赴任。教鞭をとりつつ、日本各地で福祉の多分野に渡る講演や、事例研修会を行った。平成16年3月大学を退職して帰米、現在コロラド州オーロラ市に在住して、夫とクロスロード・フォー・ソーシャルワーク社を立ち上げ、日本の児童福祉に携わる人達の研修を日・米両国で行っている。平成17年4月より東京福祉大学名誉教授を務める。平成19年10月より、関西学院大学の客員教授として教鞭をとる。
 著書に反応性愛着障害を書いた「子を愛せない母・母を拒否する子」、子どもとトラウマについて書いた「気になる子 理解できる ケアできる」(共に学習研究社)がある。
 
愛着の芽生え
 「私は抱かれて育たなかったので、自分の子どもが抱けないのです」。愛着の絆に付いて講演すると、必ず一人か二人のお母さん方から、このような悲痛な声を聞きます。なんという悲劇でしょう。このお母さんの子ども達も、このまま成人すると、やはり子どもが抱けない親になってしまうのです。

 このような悪循環を作ったのは、日本が第二次世界大戦に負けて、進駐軍と共に入ってきた様々なアメリカの風習を、吟味せず取り入れたことから始まります。それまでの日本の子育ては、乳児が抱かれるかおぶさるかして、母親またはその代理となるおばあちゃんやお姉ちゃんと一日中ぴったりと一体となっていることから出発しました。
 そしてこの一体感から、赤ちゃんは「守られている」という安心感と満足感を得ることが出来、赤ちゃんに母乳を含ませたりオムツを代えたりするたびに親は大変でも「可愛いね、守ってあげようね」という気持ちが深まり、誰も「愛着の絆」の勉強などしなくても、子ども達は安定した愛着関係の中ですくすくと健全に育って行ったのでした。

 それなのにです。1945年当時アメリカではやっていた「行動派」の子育て方法、それは「赤ちゃんは抱くと甘やかすことになる。哺乳も出来るだけ母乳でなく、時間でミルクを与えるように」などという、間違ったアイディアが新しい進歩的なものとして日本に取り入れられ、アメリカでその過ちが分かった1960年以降でも、日本では「抱き癖」という言葉として一般化されてしまいました。これが現在の子育ての危機と、増加してやまない児童虐待と放置の原因であると私は確信しています。
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