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第六回目のテーマは「生きていくための術」
教育ジャーナリストの青木 悦さんとの対話。
   
・・続き2 (第四回)
箱 崎 : お互いにすぐに通じるものがあったんですね。
青 木: そうですね。私もそれでああそうかって。その男性の記者たちは「それってやっぱり記者としての技術だよね」っていう言い方をしたんですよ。でも私はそのときに違うと思ったんですね。

ああ、違う、私の生い立ちだって思って。いつも外されて、あるいはいつも心の準備をして、何が起きるか分からないことに一生懸命対処しようとして、でも、いつも的外れになる。それは向こうの気分次第だから外れるんですけれど、自分はだめなんだと思い込んで自己否定感に陥る。孤独な子どもたちと関わっていると、これは私の子ども時代だと、子どものときの私と同じだというふうに思うことがいっぱいありました。

子どもの頃に言いたかったけれど言えなかった言葉で、その子たちと会話できたんですよ。「冗談じゃないよねえ」とかね。「何だよ、あの先生は、何にも分かってないじゃんね」とか、「あの親はどうしようもないね」ということを、子どもにぽんと言えるわけですよ。

ところが、取材しようとして近づいている大人たちは、当事者の子どもに言えないんですよ。もうちょっと教育的であらねばならないと思っているから。でも私は全くそういうのはなくて、そこで自分の子ども時代にかえってしまっていて、子どもたちと会話しちゃうわけですよ。そうすると子どもたちの方が、「青木さんってさあ、もしかしていじめられてない?」と聞いてくる。
箱 崎: すごいですね。子どもたちにはちゃんと伝わるんですね。
青 木: そうなんです。「父親」の話になって、「あっ、親父か」って。「きついよな、親父は」とか。「どうしたの?」って聞くと、「どうしようもなかった」、「今から行って、おれ、仕返ししてやろうか」とかね、そういう会話になっていくわけですよ。

逆に、もうちょっと我が子とは違う形で自分の子ども時代をもう一度追体験するみたいになっていって、子どもの気持ちをちょっとずつ書ける範囲で書いていくようになったんです。子どもの気持ちを、私も完全には代弁できないですけれど、あの子はこう思ってるんじゃないかみたいなことは本で言えたんですよね。で、それでだんだん子どもから、私が書いた本を読んで手紙が来ることが重なっていって教育問題にのめり込んでいったんです。

ジャーナリストの枠を超えて
箱 崎: なるほど。でも、そういう記者の立場っていうよりは、自分も当事者ということのかかわりの中で子どもたちも本音を言えるようになって、その本音の中に何が問題なのかっていう、何がこの事件を引き起こしたのかというところまで掘り下げていったのですね。
青 木: そうですね、自分なりに考えましたね。あの横浜の事件だけじゃないんですよね。あの事件で出会えた当事者の子はたった一人ですから。でも、ほかのいじめとか、いろいろな事件の中で、類推するしかなかった大人の中ではもう少し子どもに近づいた側で物が言えたのかなっていう気はしますよね。
箱 崎: そういう取材の方法をとっていかなければ見えないことって、すごくいっぱいあると思いますね。
青 木: ただ、ある意味で危ないところではあるんですよね。感情移入してしまうというところがあって。私は、立派な新聞記者になりたいとか、ジャーナリストになりたいなんて思ったことは一度もないんですよ。どちらかといえば、私はそれこそケースワーカーとか、そういうのになりたかったし、今でもまだブツブツ言うんです、時々、「資格とってなりたい」とかね。 

要するに、すごくしんどいところにいる子どもがちょっとでも楽になるような仕事をしたいんですよ。だからある種の市民運動みたいなものですね。ジャーナリストっていうのは何なのかってね。難しいですけれども、やっぱり「客観的に」という言い方をされるけれど、純粋客観なんてあり得ないと思っているし、そこでしんどかった子がちょっと楽になれるようなことをやりたいっていうのが主眼ですから。

だからいいんです、別に記者としてどうこうとか、ジャーナリストとしてどうこうなんて。私は直接非難されたことはないですけれども、「客観性」から外れていると批判する人もいるかもしれません。

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