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箱 崎 : |
青木さんの著書を読ませていただいた中で、頑固ということもそうかと思うんですけれど、自信がないとか、講演のときにすごく完璧に準備をしておくということが書かれていて、とても共感しました。なかなか人を信じられないとかは、子どものときにご家庭の中で仕方なくそのように身についちゃったと思うんですけれど、そのようなことから青木さんは、どのように回復していかれましたか? |
青 木: |
さっき19歳で引きこもったときに、「分解した」っていう言い方をしましたでしょう。その中で、別に私は父や母を選んできたわけじゃない、だからといって、偶然生まれてきたって言い切ることもできないけれど、父や母に自分をべったりくっつけることもないんじゃないかって。頭の中ですごくこう、それこそ再構成って言えばいいんでしょうかね、自信を失っている自分を取り戻すための作業というのを結構やったと思うんですよね。
それで、最後にたどり着いたのが、一人なんだから、死ぬときも一人なんだから、人に頼らないで自分がいいと思う価値観で生きていこうと。だから、そのときに、言うとすごく陳腐になるんですけれど、人を選ぶときの価値観として、人としての優しさだけがある人を選んでいこうと。それは、その優しさというのは見てくれの優しさじゃなくて。私の父なんかは世間では優しい人で通っていましたから。そういう意味で、私は人間の裏表を見ちゃっていますからね。だから、本当の意味で優しい人。もっと具体的に言うと、絶対暴力を振るわない人、それから、周りから見たら「だらしない」とか、いろいろ言われる人であっても、私にとって優しい人であればいいって。
でもこれって、後で考えると、結構危ないところなんですよね。紙一重というか、そういう生い立ちの人がめちゃくちゃな見せかけの優しさに引きずられていくっていう、DVにつながるようなところがありますのでね。だから、そこは今思うと危ういところなんですけれどね。 |
箱 崎 : |
それはそうですね。 |
青 木: |
それと同時に、母からもらっていた、「女一人で絶対収入を手放さないで生きてい
け」っていう、これとがセットになったときに、それがあるとき突然分かったわけじゃないんですけれど、だんだんと気持ちの中で整理がついていったんですね。とにかく自分が働いて得る収入だけは維持していこうと。そうすればどんなことがあっても生きていける、と。選んだ夫がひどい相手で、選ぶのを間違えたとしても、別れても生きていける。自分で生きていかれないがために相手にすがりつくことはしたくないとか、そんなことを考えていたんですね、若かったし。
だから、手に職をということに一生懸命になる一方で、人を選んでいくときの基準に、権威とか、学力とか、お金持ちとか、そういうことじゃない、共感できる、一緒に生きていける人を友だちでも夫でも選んでいこうと心に決めました。人を選ぶときの基準に、こういう生き方が大事じゃないかっていう私の基準みたいなものが、その悩んだときに見つかったと思ったんですよね。だから、そこを決めちゃうと、意外と後は生きていくのが楽になったんです。 |
箱 崎: |
あんまり関わりたくない人には、そんなに進んで関わらずに、もう、この人がいたらそれでいいんだというような気持ちになったのですね。 |
青 木: |
そう、そう、それでいいとね。しかも、あの人いいなと思っていても、すごく学歴を自慢したり、イヤだなと思う一言でもあったら、あっ、もうこの人はいいとかね。それから、ものすごくあの人は優しい人だなと思っても、すごくお金持ちであるということを鼻にかけるような側面がちょっとでも見えたら、もうさよならとかね。だから、そういう意味では、今考えると不遜なんですけれど、それまで家庭がぐちゃぐちゃだったものだから、自分なりにちょっと道をつけちゃったんでしょうね。 |
箱 崎: |
でも、それはかなり親しい人間関係は絞られますよね。 |
青 木: |
はい、絞れたんです。 |