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第六回目のテーマは「生きていくための術」
教育ジャーナリストの青木 悦さんとの対話。
   
・・続き2 (第二回)
青 木: はい、自分でもすごく不思議だったのは、死ぬっていう結論はいつでも出せるっていうところまできていたんですよ。中学のときに英語の先生に助けられた時点から。だから、いつでも死ねるんだったら、「一日延ばし」という言い方を自分の中ではしていたんですけれども、生きてみようと。でも、そうすると、生きることは何か意味があるのかとか。もう、ひと言じゃ言えないんですけれど、人間の分子に至るまで、全部分解していったんですよ。もちろん頭の中だけで。

それで、どうやってこの生き物があるんだとか、このコップがどういう形で存在しているんだとか、そんなことまで考えていって。もうどうせ死んだっていいんだなんて思って、飲まず食わずで2日、3日布団に入っていたのが、ポコッと起き出して、冷蔵庫から古い牛乳を出して飲んだんですよね。そのときに、“何だ、私、生きたいんじゃん。ここで牛乳飲みたいっていうことは生きたいっていうことじゃん”って思って。

そうしたら、生きる意味とかなんかより、今は生きたいっていうところだけでいてもいいじゃないかって思って。きっとその時期、頭でっかちだったんですね。そういうふうに、「体の発見」って自分の中では言っているんですけれども、体が欲している「生きたい」ということに従ってもいいじゃないかと。そんなことを一つ一つ自分で結論出していかないと前に進めない感じでした。

だから、みんな私のようだとは思わないけども、閉じこもりとか引きこもりの人たちの気持ちはすごくわかるんですよ。自分で結論を出さないと、みんなの流れにすうっと行かれないという人はいっぱいいるわけですよ。それはかなり生い立ちとも絡んでいて、それをみんなと同じスピードで、同じように18歳になったら大学に入って、さあっとこなしていけなんていう方が無茶な話なんです。私も1965年に大学に入学したので随分昔ですけれど、その時期は、今思うとすごく良かったです。
箱 崎 : その頃は、今よりも考えるゆとりがある時代だったのですね。
青 木: そうです。大学生というのは考えることがある種、許される存在だったんですよね。ところが、今は考えていたらだめなんですってね、うちの息子なんかに言わせると。
箱 崎: そういう暇は持たせない感じですね。
青 木: そう、ゆっくりと考える時間がないんですってね。あの頃は、本を読んで悩んで考えるのが学生の特権みたいな時代でしたから、みんなと一緒にデモをやる人、閉じこもっている人、石を投げている人たちがいました。若者が時代とか社会を考える時間があったんですよね。
箱 崎: そうですね。その頃に読んだ本で、自分の心にストンと落ちたものはありますか?
青 木: その頃は、そんなにストンと落ちたものって認識はないんですよ。読んでいるものが難し過ぎてよくわからなかった。今にして思うと、自分のそのときの学問的レベルに比べて、すごく高いレベルのものを読んでいたと思います。最終的に、結論を出さなくても動いてもいいんじゃないかっていうふうに思えて動き始めたのが、大学に入って9カ月ぐらい経ってからでした。

とりあえず行ってみるかって大学に行ったら、みんなから「生きてたの?」とか言われて(笑)。電話かかってきても出なかったんですよね。電話は大家さんが取り次ぐ時代だったので。そんなにいっぱいはかかってこなかったんですけれど。だから、逆に言うと、電話もない時代っていうのは良かったんだなって思いますね。
箱 崎: ああ、そうですね。今だったら携帯電話に頻繁に「どうした」、「どうした」ってかかってくるでしょうからね。

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