第一回目のテーマは「アルコール依存症」 医師でアルコール依存症者の竹内達夫さんとの対話です。
   
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続き6・・

グループの力に負けたことが出発点

箱 崎 : 先生は大学で医学部を出て、脳外科医になって、患者から感染してB型肝炎になり、予防医学の大切さを感じ、アルコール依存症の問題に目を向けられるようになって、保健所の医師として、アルコール問題に取り組まれるようになったのですね。
竹 内 : 酒を飲めば脳の血管がもろくなる。予防医学を考えたときに酒を飲まなければいい。
箱 崎 : でも、アルコール依存症の人は飲まずにいられない。
竹 内 : 当時、保健所では保健婦が頑張ってかなりアルコール問題をやっていました。医者はあまりやっていなかった。でもその頃に保健所でやっていることは、電話をして精神病院に入院させることでした。相談があると、保健婦は、入院できる病院のリストを見て病院に電話をかけて、片っ端から入院できるかできないかを聞く。入院の斡旋ですよ。外来医療はまだなかった。自助グループは断酒会はありましたが、大きな勢力ではない。入院させて退院する。当然治ってないので飲酒を繰り返す。ならば、家庭と病院の中間的な立場でアルコールの人達をグループでなんとか抱え込めないか、というのが私の考えでした。ただ入院させるだけでは治療は難しいと思っていました。そんなときに、どうもちまたに、断酒会というのがあって、酒をやめている人たちのグループがあることを保健婦から聞いて断酒会に行った。私は酒をやめていたので、そこに行っていろいろ議論する資格はあるだろうと思ってね。そうしたら、本当に酒をやめている人がいる。びっくりしましたね。グループの力をまざまざと感じました。私はグループに負けたと自分で思いました。グループにかなわないんだと思いました。私は自惚れていましたから、この人たちが全部束になってかかっても、医学なら私のほうが詳しくてはるかに上だと思っていた。だけどグループの力には負けたと思った。グループに完敗したというのが、私のある意味での大きなスタートですね。それからグループの一員としてずっと参加しています。
箱 崎 : 先生は、どれぐらいグループに参加しているのですか?
竹 内 : あんまり言いたくないんですけれどね。そんなに通ってその程度かと(笑)。日本でAA (注1) を広げたのは、アルコール依存症者のミニー神父です。この人と一緒に歩いているんです。この人が始めるときにはAAはなかった。だからAAを最初に始めたときに来たのは、断酒会の人たちとか、横須賀の米兵ですよ。それ以前に関西の病院で、AAのステップを訳して、精神科医が中心になって病院内でAAをやっていた。でもそれは後に取りやめました。医者がやっていたからでしょう。ミニー神父は、アルコール依存症者の当事者として始めてAAは今日までになった。
箱 崎 : 先生ご自身がアルコール依存症者で、AAで語っていくことで、どんなことに気づかれていったのでしょうか?
竹 内 : 私はね、自分のこともあるけれど、やっぱり客観的でもあります。病気だと、やっぱり集団で見ちゃうんですよ。もちろん、自分とも重ね合わせて見ますけれどね。アルコール問題に携わりながら、日本人としての1人のおじさん、それから医者、それからアルコール問題を持っている男、この3つが随所に出入りするんですよ。あるときは、医者が出たり、あるときは、おっさんが出たり、あるときはアルコホリックの男が出たり。しかし、この3つは渾然一体となって、いつもバランス良く出るということではない。そういう3つが交じり合っている。
箱 崎 : とても貴重な存在ですね。
竹 内 : 日本で、アルコール問題がなかなか重要視されないのは、AAも断酒会も本人が職場では隠している。アメリカでは、全部ではないけれどオープンに語られている。自助グループ活動も自助グループ以外の社会活動の中で、本人が自分のアルコール問題を語っていくことが必要だと思います。
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