第一回目のテーマは「アルコール依存症」 医師でアルコール依存症者の竹内達夫さんとの対話です。
   
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |  
続き2・・

箱 崎 : その後、先生はお酒を飲まなくなったのですか?
竹 内 : ずっと寝たきりの状態でいたので飲めませんでした。
箱 崎 : 何歳の頃ですか?
竹 内 : 30代でした。発病は大阪万博の年ですよ。忘れもしない。アメリカの医者たちが大阪の万博をかねて学会に来るからと、私はずっと無理をして、他の医者の当直もかってでて、準備していましたから。でも大阪万博には結局行けなかった。病気になって、防げる病気があることを知っていたけれど、病気になるまで自分の問題としては考えていなかった。もっと他の人が病気にならないように、予防を考えていく必要があると思い、私は予防医学をするようになりました。その当時、予防医学は保健所がその拠点でした。それで保健所の医師になりました。
アルコール問題は世代間連鎖
箱 崎 : 先生ご自身の子ども時代のことを少し伺いたいです。小、中、高で、何か興味を持たれたことはありましたか?
竹 内 : 高校のときに自殺を研究するクラブを作りました。自殺に関するいろいろ勉強会をして、その後酒を飲んで、ワーワー騒いでいるだけでしたが。始めは酒が苦手でしたが、耐性が上昇して、だんだん飲めるようになりました。
箱 崎 : なぜ、自殺の研究をされたのですか?
竹 内 : やっぱり太宰治に興味を持って、太宰が心中するでしょ。
箱 崎 : 自殺に興味があったのですか?
竹 内 : はい。
箱 崎 : 竹内先生は、お酒を飲んでいたときは、家族の問題にイライラしたり、何か悩みがあったということはなかったのですか?
竹 内 : 酒好きでしたね。大学のときに、研究室に料理人を呼んで日本酒にあう和風料理を習ったぐらいです。はちゃめちゃでしたね。
箱 崎 : 先生は、子どものときに、自分の気持ちとか話せる大人はいましたか?
竹 内 : あんまり語らなかったな〜。話が飛んじゃうけど、いじめを受けた子が、親に相談しないというけれど、あれはわかりますね。私も親にいろいろ話した憶えはないですね。

次ページへ
  | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |  
   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.