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2005年5月、13歳で妊娠したアシュリーが、臨月のおなかをかかえて、自分の祖父母の家に身を潜めている、というホットラインへの通報があった。アシュリーは、陣痛が始まる前にシアトルから抜け出して、カリフォルニアの親戚に新生児を養子縁組する手続きをしようと考えている、という内容の通報だった。
アシュリーの祖父母には以前4人の子どもがいたが、15年以上前、虐待がもとで4人ともすべて児童保護局に手によって、親族や里親に措置されていた。児童保護局のソーシャルワーカーたちがアシュリーを探そうとするが、見つからない。祖父母は数ヶ月前、住処を変えていたのだ。
アシュリーは小さいころ、父親から性虐待を、そして母親からは身体的虐待を受け、妹とともに里親に育てられていた。12歳のときに学校をさぼって街に出、ギャング仲間たちと付き合い始めた。病院からアシュリーの男児出産の報告を受けたソーシャルワーカーは、母子ともども、ティーン・ペアレントの施設に保護した。
デルシアはルイジアナで生まれ育った。両親から虐待を受けたデルシアと彼女の5人の姉や兄は、3つの里親にばらばらになって育てられた。デルシアは15歳のとき叔父から性暴力を受けたあと、高校も卒業せず、失踪と自殺未遂を繰り返した。
2005年、デルシアは3歳と1歳のふたりの子どもを引き連れてルイジアナからワシントン州にやってきた。恋人の転勤が理由だった。その恋人も暴行や盗難の罪で、刑務所に送られ、ひとりきりになったデルシアは、知らない土地で売春などをして暮らしをたてようとする。
境界線の知能障害を持つ彼女には、子どもたちを保護するための最低限のスキルが足らず、小さなアパートには常に数人の男たちが出入りしていた。
介入した児童保護局のソーシャルワーカーの記録には、「食料も無いごみの山積みになった部屋に、子どもたちは一日中放置されていた」とある。 私がこの数年間で200人以上の実親とともに仕事をしてきた。レイラとアシュリーとデルシアはその中のほんの一部分。親たちの生い立ちや境遇は千差万別である。そのひとつひとつ状況の違うケースも、最初は虐待通告として、ホットラインに入ってくる。
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