シリーズ2 アメリカ児童福祉通信
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粟津
美穂 |
アメリカには、フォスターケア月間があり、ソーシャルワーク月間があり、里親の感謝月間がある。でも、親たちを励ましたたえる月間は無い。児童福祉の世界では、実親は、虐待やネグレクトの加害者として、さげすまれ蔑視される日陰の存在だ。
オレンジリボンネットの新しいシリーズの第2回目は、そんな「親たち(ペアレンツ)」に焦点をあてた。 まず、0歳のときから18歳までフォスターケアに身をおいたディーの、母親についてのエッセイを紹介しよう。 |
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ディー |
わたしは母親と父親のあいだから生まれてきた。両親がわたしのためにしてくれたことといえば、それだけ。そのことをいったいどういうふうに理解したらよいのか、ずっと考えてきた。自分の母親を今でも愛している。でも、わたしは彼女をたいがい、いつも好きじゃない。
小さいとき、母親についていろんな事を聞かされた。わたしが愛着障害をもって生きてきたのは母さんのせいかもしれない。人に簡単に愛着を感じる反面、距離を置いたり警戒したりする。小さいときからずっと、母親はわたしを放棄して精神病棟で暮らしたって、聞いて育った。
母親がいったい誰なのか、わたしはその答えを求めてきた。「母さん」と呼べる人を探してきた。ほんとうの母親に代わる人は他にはひとりもいない、っていうことを知りながら、心の中に空いた穴を埋めようとしてた。ずっと長いあいだ、わたしはその在るはずも無い「完璧な母親」を見つけようとした。そしてわたしは母さんを探しあてた。
わたしが18歳のとき、母さんに出会った。出会った日がいつだったかは、日記のどこかに書いてあるはずだ。そのときのこと、誰が一緒にいて、わたしがどんなことを感じていたかは一生忘れることはないだろう。抱えていた大荷物がわたしの身体から、ずどんと下ろされるような感覚。うれしすぎて泣くこともできない、説明のしようの無いそのときの気持ち。わたしのその当時の親友のお母さんが、わたしの母親との再会の場に立ち会ってくれた。わたしは一生ずっと、その日が完璧であることを祈ってきた。
ディーの告白「わたしの母さん」の続きへ
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