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・・続き2

 母親を見つけたってわかった後、受話機を置くと、わたしは飛び跳ねて、周りにいたすべての人たちを抱きしめた。わたしは電話帳で母を見つけたのだ。母親に会ったとき、緊張していたのか、思わず笑いが飛び出した。

 わたしは母さんを彼女の名前で呼んだ。わたしは母さんに、彼女をどう呼んでいいかわからないよ、と言った。しばらく時がたってから、わたしは母さんを最初「マー」と呼び、「マム」と呼び、そして「マミー」と呼んだ。

 母さんにいつも会いに行った。近くにひとりで住んでいたし、わたしは彼女のいい話し相手になった。ずっと知ることがなかった、この「家族」と、できるたけたくさんの時間をすごそうとした。子どものころから、夢見てきた人が今、ほんとうの顔を持った現実の人になった。

 わたしは「母を取り戻した自分」にひととき、浸っていた。でも、「愛してる」と母さんに言えるまでには少し時間がかかった。警戒心がはたらいたのかもしれない。ずっと、母は私を捨て去ったと聞いていたのに、母はそれは真実ではないと言った。

 ある日、わたしが母さんに電話した。おしゃべりするためだった。二、三日、話していなかったから。母さんは電話口で「私に一度会いに来りゃ十分だろ。なんで何度も連絡してくるんだい」と言って電話をいきなり切った。

 その時の心の痛みをわたしは説明できない。気持ちが混乱して怒りがこみ上げてきた。母さんとしばらく話したくなかった。母さんの話には一貫性が無い。いつも内容が変わる。今でも母さんには電話するし、話もする。でも以前のようにひんぱんではなくなった。
母さんは、遺伝なのか麻薬のせいか知らないけど、精神障害に悩まされている。母さんとつきあっていくのは、たやすいことではない。わたしたちの関係は、無くしてしまおうと思えば、いつでも無くすことができるだろう。

 今年の母の日、わたしは母さんに会おうともしなかったし、電話もかけなかった。その日、誰にも会わず、誰にも電話をしなかった。母と持つべき関係を一生持つことがないだろうと考えると、胸が張り裂けそうになる。母さんに対して抱いていたたくさんの期待を、わたしは捨てた。ずっとずっと母さんはわたしの夢であり、希望であり、わたしの「母親」だった。

 でもわたしの母さんは「子ども」だ。わたしの親にはちがいないけど、それでも彼女は「子ども」だ。わたしが母さんをまだ愛しているのは、彼女を可哀そうと思う気持ちのためだろう。

 わたしは、ネガティブな感情をまったく持たずに、一心に母親を愛せたらどんなに良いだろうと考える。でも、いつどうやってそこにたどり着くのだろう。わたしには未回答の質問がまだ、たくさんある。
<続く>


立ち上がる親たちの続きへ


   
 
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