多くのフォスターユース(十代の里子)たちは、18歳になって里親や施設をはなれると、実親の元にもどっていく。幼児期に養子縁組された里子たちも、成長の過程で一度は実親を探しあてようとする。子どもたちにとって親とは、いつどんな状況で離れ離れになっても永遠の存在であることを、ディーもエッセイの中で語っている。
だが、虐待をネグレクトをする親、児童保護局のレーダーに捕らわれる親たちとはいったい誰なのだろう。
2010年の連邦政府の調査では、虐待やネグレクトを受けた子どもたちのうち、母親が加害者の場合は75%。それに較べて、父親は43%。貧困層に属する子どもたち、都会から離れた田舎の子どもたちのほうが虐待の犠牲になりやすい、という結果がでている。
この統計の数字からは、子育てをひとりで背負わざるを得なかった母親たちが孤立し、援助も届かない密室のような状態の中で、子どもをネグレクトし虐待するまでにいたるという日本にも米国にも共通した構図が想像できるが、虐待の加害者である親たちの個人的な状況は判断できない。
ここに、子どもを児童保護局に奪われた3人の母親たちの生い立ちを書き表すことで、統計には見えてこない、彼女たちのほんとうの姿を提示してみたい。
〈3人の母親〉
レイラは5人の子どもをすべて、児童保護局に奪い取られた。1992年から、ホットラインによせられたレイラに関する虐待の疑いの通報は30件を超えた。この母親は幼少期、身体的虐待とネグレクトの犠牲だった。
レイラの母親は、レイラを12歳で売春に売り渡した。その売上金をレイラに手わたして、麻薬を買ってくるよう強制した。レイラは13歳で家を飛び出し、自らも麻薬におぼれていった。16歳でヘロイン、コカインそして、アルコールの中毒症と診断されたレイラは、長女を産んだ。レイラは乳児と一緒に、里親に措置された。だが、その里親はレイラと赤ちゃんを虐待した。
20歳までに、レイラは麻薬更生のための施設に6回入所するが、6回とも途中で脱落。ホームレスになった彼女を救った男とのあいだに、ふたり目の女の子をもうける。子どもの父親である男はレイラに殴る蹴るの暴行を加え、レイラは足の骨を折って入院。次女は、親類にあづけられた。レイラはその後5年間のあいだに、2人の男の子を生む。
子どもの父親はメキシコからの違法移民で、麻薬所持法違反などで禁固刑を受けたあと、強制帰還を命じられた。ふたりのちいさな男の子たちには発達障害や身体疾患があり、女手ひとりで育てるのは困難だった。麻薬常習を断ち切れないまま、2007年、レイラは再び女児を出産する。その子は、出産の時、麻薬検査陽性で生まれ、病院が児童保護局に連絡を取ったことから、レイラの新生児と男の子ふたりは、ただちに里親に措置された。
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