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箱 崎 : |
抑圧していた感情を解放して、自分の中にある被害者性を受けとめたときに初めて、自分の加害行為と向き合えるのですか?
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ナ ヤ: |
基本的にはそうです。たとえば、こういう風に考えてみてはどうでしょう。大きな船が沈没したとします。ある人が、海に小舟で漂っていて、まず木が水面に現われて、木だと思っていたらいろんな物が浮き上がってきて、船の一部とか出てきて、最終的にようやく時間がかかって、船の全体が浮き上がってくる。そうすると、最初に見えたものが木の先端だけだったけれど、最終的に時間をかけると、大きな船が沈没していたことがようやくわかる。
もう一つの例ですが、ある人と話をしたり、見ていたりすると、この人は小さいときに虐待されて、その結果、兄弟に暴力を振るったりしたとか、被害者から加害者になったということが、20分でわかったりします。だからといって、被害者から加害者になってしまった人を20分で変えてあげることはできない。
何が必要かというと、その人自身がまず自分で気づく場所を作ってあげることです。
そして、似たような体験をした人と感情の交流をすることによって安全な場所を作って、そこで感情や体験を自分自身で気づいていく。それも、単に虐待を受けているから虐待をしてしまった、という単純な事実でなく、もっと細かいその人自身しか知らない、20分では言い当てられないような様々な機微を本人がしっかりと気づくこと。それでようやく「変わりたい」と思えたり、変わっていくことができるのです。簡単にできることではありません。 |
箱 崎 : |
一人ひとりのそういう細かいディテールを見ていくことが必要で、虐待を受けたからこうなったとか、自分も回りも単純にそう思っているうちは、なかなか回復しない。回復するためには、すごく細かいことを思い出したり、具体的に忘れかけていたことを1つ1つ思い出して、船の全体像が見えるぐらいにならないと、回復は難しいということですか? |
ナ ヤ: |
あなたの言うことは100%正しいです。詳細を見ていくこと、気がついていくことは本当に大切です。 |
箱 崎: |
子どものときに、どんなことがあったか、気づいていても、なかなか回復へと歩めない人がいます。自分で起きたことはわかっているのに、なぜ回復しないのでしょうか? |
ナ ヤ: |
全くその通りで、繰り返し繰り返し被害を受けてきた人たちは、ある種、感情的に閉じてしまうというか、自分を守ろうとします。あまりにも、過剰に感情的に防御してしまうゆえに、他の部分、育たなくてはいけない部分まで囲ってしまうのです。そういう意味でも、そこを抜ける必要があります。 |