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大阪府養育里親
渡邊 守
・・続き3
 そして、その孤独で傲慢な小学生は、それが必然であるかのようにいじめられっ子になった。自分がどのようにいじめられていたのか最近まで思い出せなかった程、私にとってその経験は酷く苦しいものだった。小学校で約2年間いじめられ続けたが、それを両親が知ったのは、近所の子どもからだった。母はとても苦しみ、自分を責めただろうが、慣れない役割に苦労する母を毎日見ていた私は、自分の不安定な状態を母のせいにすることなど考えたこともなかった。

 むしろ、大好きな母を心配させまいと、母の前では明るく元気な子どもを演じていた。それでも、ほとんど毎週のように月曜日の朝には体調が悪くなる私の異変に気がつかなかった母を思うと、本当に母自身も疲れきっていたのだろう。そして、中学生となった私は再び父の都合で沖縄へ家族と共に転居することになった。中学生になった時点で、千葉での生活は私にとって既に限界だったのかもしれない。

●沖縄で自尊感情を取り戻す
 静岡の山の中から千葉の漁師町に移ったときにも文化の違いに戸惑ったが、沖縄で私が経験したカルチャーショックは遥かにそれを凌ぐものだった。それまでの経験では想定できなかったほど大きな文化的違いを感じながらも、千葉でいじめられた経験が、転校先での私を明るく振舞わせ、社交的で協調性のあるところを周りに認めさせようと必死にさせた。

 ところが、私の転校先のクラスメイトたちは、とても大らかで、文化も言葉の訛りも異なる私を本当に暖かく受け入れてくれた。また、転校してすぐに誘われた柔道部での経験も私を大きく成長させてくれた。スポーツはどんなものでも絶対に向いていないと自分自身で信じ込んでいたのだが、受け身からコツコツと修練する武道はなぜか私に向いており、メキメキと自分でも驚くほど上達していった。
 
 この経験は、先入観にとらわれず何事にも挑戦することの大切さを学ばせてくれる貴重なものとなった。中学・高校時代の柔道部での修練を通じて、小さな挑戦と達成の繰り返しを経験することができた。安定した学校生活と友人関係、そして小さな目標達成の繰り返しが、私に自尊の感情を再び取り戻す機会を与え、静岡の山の中での私のように、活き活きした自分を自然に取り戻すことができた。

 沖縄から大学入学のために愛知県に1人で転居するまでの間も、『自分が誰なのか』を問い続けることは終わることはなかったが、静岡や千葉の頃の私が悩んでいたようなかたちではなく、思春期の多くが経験するマイルドな悩みに既に変化していたように思う。

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