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大阪府養育里親
渡邊 守

 大横綱大鵬が引退し、プロ野球選手の江夏豊がオールスターゲームで伝説の9連続三振を達成した年、私は牧師の父とそれを支える母の間に二人の姉を持つ長男として北海道伊達市で生まれた。
母の話では、あまり感情を表さない父が、待望の男の子誕生にとても嬉しそうだったらしい。その父の仕事の都合で、私は子ども期を北海道、静岡県、千葉県、そして沖縄県という異なる道県で過ごした。生まれてから2歳までしかいなかった北海道での暮らしについては全く記憶がないが、静岡、千葉、沖縄のどれが欠けても今の『私』とは違う『私』になっていただろう。

 自分の意思とは関係なく、環境や文化の異なる地域で何度も突然、新生活を始める経験は、私の子ども期を非常に不安定にした。そのような不安定さの中で、私がどのような子ども期を経て今の『私』に辿り着いたのか、静岡、千葉そして沖縄の三つの子ども期に分けて振り返ってみたい。

●静岡の山の中で「自己」に思い悩む
 私の子ども期の記憶は、静岡県天竜市(現在は浜松市天竜区)の“山の中”から始まる。生活は非常に貧しく、我が家の冷蔵庫の中には使いかけのマーガリンだけということも度々あり、電源を入れていないことも珍しくなかった。頂き物のそうめんをスパゲッティほどの太さまで茹でてマーガリンをのせて食べるのが、子どもながらにとても辛かったことを覚えている。

 しかし、貧しさそのものを苦痛に感じるにはまだ幼すぎたし、豊かさを間近で目にするには山の中はあまりにも田舎だった。豊かな自然以外に殆どなにもない田舎であったことは、そこから出る経験をするまで知る由もなく、山の中は私の全世界であった。

 山の向こう側に思いを馳せることを知らなかった私は、小学校に就学する何年も前から小さい頭でひたすら『自己』について思い悩む子どもであった。それは最初のアイデンティティの混乱の時期であったように思う。
幼かった私は、ふとした時に「僕は何なんだろう?僕がいなくなったら『僕』って考えている僕はどこへ行っちゃうんだろう?」「僕がもし蟻んこだったら、僕は僕って解るのかな?」といったことを何度も考えていた。

その問いかけの繰り返しが深刻なものにならなかった理由は定かではないが、恐らく母と小学校一年の担任の先生の存在が私の自己の存在を認めさせ自尊の気持ちを芽生えさせてくれたのだと思う。

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