top   1   2   3   4   5   index
 
 
 
・・・続き3
〈虐待を生き延びた子どもたち〉

 ディーは、エッセイの中で、自分の名前や、里親の家庭の中での役割が、彼女の許可なくすり変えられていく様子を描いている。そして性暴力によって、文字どおり自己を奪いさらわれるわけだが、彼女がこれから、システムの中で、そして成人してからの人間性の再形成をどのように描いていくのかに、注目したいと思う。  

 フォスターケアに身を置く子どもたちのアイデンティティーの形成は、普通の子どもたちよりも困難であることは、様々な研究によってわかっている。里親やグループホームを変わるごとに、とぎれとぎれで連続性や安定性のない暮らしのパターンの中に放り込まれる。彼らは慣れ親しんだ学校や友人と、時によってはきょうだいたちとも離れ離れになって暮らすことを強いられる。まわりから「フォスターチャイルド」という固定の観念で見られ、実親と育て親の間に立って忠誠心と葛藤したりしている間に、ポジティブな自己形成が遅れをとってしまう。

 家族というとても小さく個人的な“単位”が子どもたちに精神的な、文化的な土壌を築く原動力になることはだれでも知っている。小さい子どもが、家族のつながりの中から少しずつ自己をつくっていくとしたら、家庭的な環境を本来備えていない大型のグループ施設に長年にわたって生活するフォスターユースのアイデンティティーの形成は、格別に困難であることが想像できる。 

 そして、グループ施設は、往々にして、青少年たちを大人になる体勢をととのえないまま、世の中に送り出してしまう。現在、アメリカの里子たちの大半は、里親や親族に育てられていて、大型の治療施設やグループ施設に暮らす子どもは、全体の2割にすぎない。これは、日本の児童福祉の状況とまったく異なっている点だ。それでも、施設に住む子どもたちを、どうにかして、もっと家庭的な場所に早期に移そうというこの国の動きは今でも続く。

 メンタルヘルスの治療チームを里親の家庭に送り込んで、里子と里親と直接のセラピーにあたったり、地域のリソースをフルに活用する「ラップアラウンド」の動きがその現れだ。12歳未満の子どもたちには裁判所に指名された擁護人がついているように、12歳をすぎれば、自分の弁護人が主張したい立場を代弁してくれる。もしも、ソーシャルワーカーがグループ施設より家庭的な生活の場所をユースたちのために常に探していなければ、また、親族や実親と暮らせる道を啓く努力をしていなければ、弁護人、またはユース当人がそのことを法廷やオンブズマンに報告する仕組みがある。

 これは日本でも、アメリカにも共通して言えることだが、ふつうの青少年が18歳になったとたんに両親を離れて自立することは容易ではない。親や、頼れる大人の助けがないフォスターユースたちが単に18歳という「法的な年齢」でシステムを追われることの非現実さに、たくさんの人たちが注目し始めたのは、80年代だった。





   
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.