宿 命
私は、長崎県で父と母の元で昭和23年に生まれました。父は満州にて戦争に参加していて、敗戦と共に家族と日本に引き上げてきたそうです。引き上げてきた後に、相次いで病気で家族のすべてが亡くなり、その後ひとりで駐在所に勤務をしました。戦争中は騎馬隊にいて、日本に帰ってきても時々馬を借りて乗っていたそうです。祖父は米屋をしていて田畑もあり屋敷も大きく沢山の使用人を使っていましたが、終戦で事業もうまくいかなくなり、失意のどん底にあり、どちらからとなく声をかけるようになり、お互いの話をするようになり、結婚が決まったと母から聞いております。
そのような中、父・母の長男として私が生まれました。
島原の乱
1639年原城にて、キリシタン弾圧対して天草四郎時貞を中心として武士・浪人・農民などが立てこもり蜂起し幕府軍と戦いました。(私は、日本の中での唯一の革命だったと思います。)跡地は高台の絶景の所にあり当時は大きな穴があいていました。(いまは整備されています)浦田観音さままでつながっていたようです。(物資を運んだり連絡用に使ったようです。)いとこ達とよく原城跡に行き天草四郎が死の間際に埋めたといわれる金のクロスを探しにいきました。近くの畑では、刀や農具・人骨などが時々見つかっていました。その戦いに参加した人はもちろん関係のあった人や親戚までが殺されていったようです。
父
戦争に行くまでは、酒も飲めなかったようですが、明日の命も分からない状況の中、酒を飲むようになったようです。酒を飲むと同僚は連れて来てドンちゃん騒ぎとなり当然、当時の警官の少ない給料では生活費に困り、「お金がない」というと殴られ「ちゃんと給料渡しただろう」と言われ、祖父母のもとで何不自由なく育った母にとっては辛いことだったようです。小さいときから「あなたを抱いて列車に何回飛び込もうと思ったか」と聴かされてきました。
物心つく頃には、酒を飲まなければいい父親でしたが、体格も大きくそれで暴れると本当に怖い思いをしてきました。父が怖くて家では本当におとなしくしていました。私は家が小さい頃から大嫌いになりました。機会さえあれば祖父母のところで過ごしました。
父は、駐在所の勤務を経て本署の刑事になり、忙しくなりよく祖父の家に小さい頃母と一緒に帰りました。そこでの暮らしは私にとって楽しくて楽しくてしょうがありませんでした。近くには、母の兄弟姉妹が住んでいてまた、母の妹達も私より4から5歳の年の差しかなく、そこに行けばいとこや叔母さんたちが一杯いました。初孫で祖父母によく可愛がってもらいました。そこは最高の場所でした。(次へ続く→2へ)
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