一人の子どもの涙は、人類すべての悲しみより重い(続き3)
諏訪中央病院名誉院長
 鎌田 實
  僕は、子どもの時、淋しかったから、少年から青年にかけて、小説をたくさん読みました。一番影響を受けた本は、ドストエフスキーの未完の傑作『カラマーゾフの兄弟』です。ドストエフスキーは、120年前にロシアで、虐待のことを書いているのです。この小説に登場する次男のイワン・カラマーゾフは、多くの児童虐待の例を挙げて、罪のない子どもたちの苦しみを知って、涙は誰のためにあるのかと問うのです。
子どもの時はつらかったけれど、岩次郎さんが僕を救ってくれたように、子どもたちの未来につながるようなことをちゃんとしていきたいと思っています。

 チェルノブイリで14年、被曝者医療の国際支援をしてきました。さらにJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の代表となって、イラクで多発している白血病に苦しむ子どもに薬を届ける支援をしています。イラクの医師と連絡を取り合って、毎月、抗がん剤など、必要な薬を届けています。
チェルノブイリの子どもの支援をするようになって、初めて放射能汚染が人間に与える影響について知りました。救援活動のために、初めてロシアに行ったとき、ロシア人の科学アカデミーの大学教授から、ドストエフスキーがこう言っていると、説明を受けました。

  「一人の子どもの涙は、人類すべての悲しみより重い」。
 だから、チェルノブイリの子どもが泣いている。助けてほしい、と。これを聞いたとき、『カラマーゾフの兄弟』に出てくる言葉だと思いました。一人の子どもの涙とは、この小説のなかで、虐待を受ける子どもの涙だったのです。ロシアに行ったときに、僕の好きなドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からの言葉を聞くとは、何か因縁みたいなものを感じました。

 ものすごく長くて難しい未完の不思議な小説で、世界でも最も素晴らしい小説です。本当に、この小説は嫌な人ばかり出てきます。ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の中で、人間はひどいこともする、人間の中には、獣がいる、と言っています。人間のすべてが獣ではなく、どこかで、人間らしい部分があり、そして獣の部分があると。人間はみんないい面、悪い面がある。それを象徴するために、ドストエフスキーはこの本を書いたのではないかと思います。今の社会だから、という問題ではなく、100年前、200年、300年前も、人間はいいこともするけれど悪いこともする、と。
 
  人はみな、獣の部分が出ないよう、お互いを大事にしあうことが大切です。僕は嫌な人がいても、全部を嫌な人とは思わない。だめな人、悪い人と、人にレッテルを貼らなくなりました。この人は悪い人だと、悪い面だけを見て、レッテルと貼ると、相手と心は通い合えないけれど、その人のいい面も見ると、相手と心が通い合う。僕はそのことをこの小説で教わって救われました。

どんな人でも変わる可能性がある

  家の中は、暗闇。本当に嫌なことが起こってしまいます。家の中だけに。どんな家族にも秘密があります。僕は1歳の時に、実の両親から養育を放棄されました。僕の背中には痣があります。どんなふうにつけられたか今となってはわかりません。人は誰もが、何かを背負って生きているのではないでしょうか。

  人間は、いい面、悪い面の両方があります。でも、どんな人でも変わる可能性があります。
つらいとき、大人には、僕が書いた「がんばらない」「あきらめない」「それでもやっぱりがんばらない」を読んでほしいです。子どもたちには「雪とパイナップル」を読んでほしい。
読むと、人間は捨てたもんじゃないと、ちょっと心がホッとすると思います。(了)


 
 
☆ プロフィール
鎌田 實(かまた みのる)
1948年、東京都に生まれる。
1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。
長野県の諏訪中央病院にて、地域と一体となった医療や、患者の心のケアも含めた医療に携わる。
1988年、諏訪中央病院院長に就任。
2005年より同病院名誉院長。
同時に、東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部非常勤教授も務める。
2000年、著書『がんばらない』(集英社刊)がベストセラーになる。主な著書に『あきらめない』『病院なんか嫌いだ』『いのちの対話』『それでもやっぱりがんばらない』(集英社刊)、絵本『雪とパイナップル』(集英社刊)がある。
また、チェルノブイリの救援活動に参加し、ベラルーシ共和国フランチェスカ・スコーリヌイ勲章受賞。現在、JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の代表として、イラクで増加している白血病の子どもの医療支援を行っている。
今年4月、イラクやチェルノブイリの子どもたちの薬代を稼ぐために、NPO のレーベル「がんばらない」をつくり、坂田明氏に、日本を代表するモダンジャズのメンバーを集めてもらい、ファーストアルバム『ひまわり』が発売された。
 

JIM-NET
●今年9月、イラク国境近くの難民キャンプ、ノーマンズランドで医療活動を行った。 撮影・佐藤真紀
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