医師と患者の関係、地域医療の在り方、がん治療について、社会に問い直した著書『がんばらない』がベストセラーとなった医師で、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんに、インタビューし、ご自身の子ども時代について語っていただきました。
お話をうかがって、鎌田さんが子ども時代に体験されたことが、現在の地域での医療活動やチェルノブイリやイラクの子どもたちへの支援活動につながっていることを知りました。 (聞き手 箱崎幸恵)
母は病気で父は仕事の淋しい子ども時代
―――子ども時代の感情、嬉しい気持ちや、悲しい気持ちなど、鎌田さんが感じられた時のことを聴かせていただけませんか。
母は重い心臓病で、長く入院していました。親父はタクシーの運転手で、夜中の12時ぐらいまで仕事で、帰ってこられませんでした。家が貧乏で、父が自分の女房を入院させるために、長い時間働いていたのです。そのころは、国民皆保険もなくて、高い入院費や心臓の手術代を払うのは、貧乏な家ではとても大変なことでした。
母が入院で、父が仕事、一人っ子の僕は、子ども時代は淋しい思いをしました。小学校1年のころ、とても怖がりで淋しがり屋でしたね。父は厳しい人でした。礼儀作法しっかりしないと怒られました。子ども心に仕方がないと思っていましたけれど。父親は一生懸命に働いて、窮地を乗り越えたいと思っていました。そんな父に僕が学校であったことを報告しても、忙しくて、上の空で、算数のテストで100点を取っても、褒められたことはなかったですね。
父は小学校しか卒業していなくて、子どもを教育する余裕もなくて、褒められることで、子どもが伸びることを知らなかったのです。その日、その日を暮らすのに、精一杯で。子ども時代は、楽しいよりも、つらい思いが多いですね。
母親は大好きでした。やさしい人で、入院している病院に行くと、僕は甘えん坊で、母親のベッドの中にもぐりこんだりして、休みの日は、病院で一日中過ごしました。学校の報告をすると、父とは違って母は「すごいね、すごいね」と言ってくれました。母親に喜んでもらえたのは、嬉しかったです。
友だちと近所のおばさんに大事にされた
-―――ご両親の他に子ども時代の鎌田さんを支えてくれた大人はいましたか?
隣のおばさん。午後8時くらいになって、隣のおばさんの夕飯が終わると、どんぶりを持ってきてくれました。午前12時にならないと、父親が帰ってこないのを知っていて、どんぶりを置いていってくれました。そのどんぶりは、本当においしかったな〜。
そのころは、まだテレビのない時代で、町に1軒だけ、酒屋さんがテレビを持っていて、相撲やプロレスを夢中になって見ていました。相撲が終わっても、一人だと、淋しくて、怖くて、なかなか帰らずにいて、仕方なくとぼとぼと歩いて帰ろうとすると、酒屋のおばさんが、「今日は、家でご飯を食べなさい」と声をかけて、ご飯とお味噌汁を置いてくれました。そして「好きなものを食べていいよ」と言ってくました。そのときはすごく嬉しかった。家には、団欒らしい団欒はなかった。淋しい時代でした。(次へ続く→2へ)
|