思春期の劣等感と自己肯定感
親業インストラクター
瀬川 文子 

 ここのところ、中学生がイジメを苦に自殺するという事件の報道が何件も続き、心を痛めています。思春期は、親から心も身体も自立しようともがき、自分自身の存在のあり方、生きる意味を模索する時期です。私自身も中学生のころに、漠然とした不安を抱えながら日々を過ごしていました。親から見たら、表面的には勉強もそれなりに頑張り、部活動に汗を流し、明るく過ごしているように見えたと思います。

  特に目立つ存在でもなかった私に、何ヶ月かの間に、複数の男子からラブレターを手渡されるというハプニングが起きたのです。うれしくないわけではありませんでしたが、なぜ私に?という戸惑いの方が大きかったのを覚えています。逆に男子と付き合うということが、どういうことなのか?奥手な私は不安で、すべての申し出を断ったのです。そのことが、一部の女子に生意気だという印象を与えてしまったのです。クラスの中でもおしゃれに気をつかい、かわいい女子が多いグループの子たちから冷たい視線を感じるようになりました。
   「ちょっとぐらい男子にちやほやされたくらいで、舞い上がって嫌なやつ」「ブスのくせに生意気よね」「断られた男子がかわいそう」「あんなブスのどこがいいんだろう」という陰口がどこからともなく聞こえてくるようになりました。「ブスのくせに」という言葉に深く傷つきました。今、思えば容姿に対する劣等感は思春期の子どもなら、誰でももつ悩みだと思いますが、私自身も自分の容姿には劣等感をもっていたのです。

  幼いころ、祖母に「この子は鼻ぺちゃだね」「色が黒くて、男の子みたいだ」「それに比べて、○子は鼻筋が通って美人だね」と同じ歳の従妹と比較されて言われていたことが、私に劣等感をもたせるきっかけになっていました。祖母にしたら、大した意図があって言っていたわけではなかったのでしょうが、子ども心に「自分は美しくない」と思い込んでしまいました。

  クラスで囁かれている陰口のことは、母には打ち明けることはできませんでした。心配させたくないという気持ちと、男子からもらったラブレターがきっかけで起きたことを知られるのは恥ずかしいという思いからでした。母には学校で起きたことや友達の話などをよくする方だったのですが、このことだけは話せないと一人で抱えこんでいました。どうしたら良いのかわからず、そういう陰口を無視し、部活で汗を流すことでやり過ごしていました。

  そんなもやもやした気持ちをもてあまし、ある日、母に「私ってブスだよね?」と何気なく聞いたのです。母は「そうかしら・・・10人が振り向いて見るほど美人でないかもしれないけど、10人が振り向いて見るほどブスではないわよね」と言ったのです。この一言で私は救われました。とても現実的な表現に納得し、自分の容姿を客観的に受け入れ、自分を肯定的に捉えることができたのです。もし、あのとき母が「そんなことはないよ。あなたはかわいいよ」と慰めたら、私はもっと長くこの劣等感を引きずっていたように思います。

  大人のちょっとした言葉かけが、子どもの心を深く傷つけることもあれば、反対に子どもの心を軽くすることもあります。子どもたちの心の声を受けとめることができる大人が増えることを願っています。(次へ続く→2
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