家族という安全地帯   (2)
民放テレビ局 報道局記者 
堀川 雅子 

 面倒見がよく、太っ腹で、私は母といると、大きな安心感に包まれました。もちろん、悪いことをしたりして叱るときは怖い!父親の比ではありませんでしたが・・・
 
 あるとき、母親の小学生から高校生にかけての「日記」を偶然見つけました。母親は一人っ子だったことが、とっても寂しかったようです。だから、私は妹と2人姉妹となったようです。そのことには感謝しています。
今でも「家族」は自分にとっての「安全地帯」です。外で傷ついたり、ヘトヘトになっても、帰れば、ほっとできる場所。そんな思いにしてくれる私の「家族」には、心からの感謝の思いです。

 「子ども時代の不安」という点で思い出すこと・・・。小学生・中学時代のことですが、当時は布団入ってからしばらくの間は、いろいろなことを想像する癖がありました。そのとき、家族の誰かが死んだら・・・と考えると涙が出てきて、不安が胸いっぱいになり眠れませんでした。もうひとつは、両親の喧嘩です。私の記憶では、たった1回しかありませんが、鮮明に覚えています。

 私が小学生の高学年の頃、外出前に、ささいなことで口論になったようで、なぜなのか、理由はわからないのですが、気がつくと部屋の本棚のガラスが割れていました。最初で最後の(派手な)夫婦喧嘩ですが、いまだに覚えているという意味では、幼な心にも相当なショックだったのだろうと思います。たしかに当時は、「このままお父さんとお母さんが離婚したらどうしよう・・・」と内心びくびく、心細く思っていました。親、家族・・・というのは、それほどまでに、偉大で絶対的な存在だったのだと思います。

 社会人になってから、不思議な縁で、児童虐待とかかわることになりました。「家族の中の暴力」、「子どものトラウマ」・・・その現実は、とてもつらく、信じがたいものです。私の場合、田舎のゆったりした環境で育ったことが、こういった現実を遠ざけてくれたのでしょうか・・・。「暴力の連鎖」という言葉がありますが、私は「優しさの連鎖」があると信じたいと日々思いながら、取材活動を続けています。(了)





★ 「凍りついた瞳」(椎名篤子氏)・・・児童虐待の取材を始めて、頭打ちしていた頃、
  法医学の先生から勧めていただき、手にしました。目からウロコでした。
★ 「リンダの祈り」(箱崎幸恵氏)・・・児童虐待の現実の中でも、もっとも深い闇
 「性虐待」についての認識を与えてくれた本です。「性」の問題は、まだまだ踏み
   込みきれていませんが、 明らかにすることから、社会が変わると信じています。


セルフケア

★ 睡眠(とにかく、寝れば忘れる。報道現場ではつらい事件や取材が多く、
     心理的にも引きずられることが多い。ゆえに、日々がセルフケア。)
★ マッサージ(体が硬く、タイ式マッサージが気持ちにはまっています。
       いつか本場タイで受けてみたいです)


☆プロフィール
堀川 雅子(ほりかわ まさこ)
津田塾大学英文学科卒業
1993年 民放テレビ局入社 報道局配属
1995年 阪神大震災取材
1997年 神戸児童連続殺傷事件 取材
2000年 司法担当
2003年 児童虐待や医療問題の継続取材
2006年 ドキュメンタリー班所属

《制作番組や企画など》
☆ドキュメント「おうち〜神戸母子寮再建物語」(1997年)
☆ドキュメント「生きる力〜神戸小学生殺傷事件、遺族は〜」(1998年)
☆ドキュメント「癒しへの道しるべ〜犯罪被害者を守るものは〜」(2000年)
☆ 公開シンポ 「犯罪被害者シンポジウム」企画・開催(2000年)
☆ドキュメント「児童虐待〜傷痕からの救済〜」(2005年2月)
☆ドキュメント「神戸A事件〜被害者と加害者の10年〜」(2007年5月)

保育園に通っていたころに、 富山の実家で撮った写真。左が妹で右が私
 
    1|2
←戻る 上へ
 
COPYRIGHT(C)2006 ORANGE RIBBON-NET & THE ANNE FUNDS PROJECT ALL RIGHTS RESERVED.