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オレンジリボンネット管理人 箱崎幸恵 

 毎年、児童虐待防止推進月間の11月になると、児童虐待防止のシンボルとしてオレンジリボンがあちらこちらで配られる。国会議員たちがオレンジリボンのバッチを胸につけ、厚生労働省の庁舎や都庁がオレンジリボンで彩られる。東京タワーもオレンジ色に、という提案もあったが、もともと東京タワーはオレンジ色ではないか、という笑い話まである。
オレンジリボン運動に、国からの補助金が下りるようになり、地方自治体も、負けじと、11月になると一斉に、オレンジリボンをつくり、虐待ホットラインの電話番号が書かれた紙とセットで市民に配り出す。

 このオレンジリボン運動が始まったのは、虐待事件がきっかけだった。2004年9月に、栃木県小山市で、当時4歳と3歳の兄弟が橋の上から川に投げられ水死した。被告は、同居していた幼い兄弟の父親の友人だった。覚せい剤を使用する薬物依存症者の被告は、日常的に兄弟を虐待していた。子どもたちを見かけたコンビニエンスストアの店員が虐待を疑い通報し、警察と児童相談所が介入したが、その後、充分な支援のないまま幼い兄弟は家に戻され、被告家族との同居が続いた。そのため、事件が発覚した後、児童相談所の支援の在り方が非難された。被告が逮捕された後に、兄弟の父親も覚せい剤を使用していたことがわかり逮捕され、この事件が抱える深刻な問題が浮かび上がった。

裁判では、被告と幼い兄弟の父親の歪んだ人間関係が明らかとなった。「2、3日に置いてくれないか」と父親が同じく一人で子どもを育てていた父子家庭の被告に頼み、受け入れると何ヶ月も居座った。被告が兄弟をうるさく感じて暴力を振るうと、父親から40、50発殴られた。そのため、次第に被告は父親への憎悪が募っていった。事件前日も兄弟を連れ出して立ち寄ったガソリンスタンドや車内で兄弟を殴った被告は、兄弟の顔が腫れるなどしたため、父親に発覚したらまた制裁を加えられる。自分だけでなく、自分の子どもにまで制裁が及ぶことを恐れて兄弟を川に投げ入れた。
被告と兄弟の父親は、中学の先輩後輩の関係から、暴力によって支配する主従関係へと歪んだ関係となり、そのことで幼い兄弟が犠牲になったのである。被告は1審判の判決で死刑を言い渡され控訴したが、東京拘置所で病死した。

 この事件を機にできた小山市の市民グループ「カンガルーOYAMA」の代表の里親が、NPO法人里親子支援のアン基金プロジェクト(以下アン基金)に、児童虐待防止のために、リボン運動ができないか、自分たちの力だけではできないから協力してもらえないかと相談をもちかけた。アン基金はその提案を受けて、このリボン運動を全国的に広めるために、事務局を担うことになった。リボンの色は、全国的な里子たちの会、「さくらネットワーク」に決めてもらうことになった。里子たちは、話し合い、「明るい未来を感じる色だから」とオレンジ色を選んだ。→(2)
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