生きることへのこだわり,支配することへの嫌悪
児童精神科医
田中 康雄
 子どもの虐待について、考える前に医療現場で出会ったときは、医者になって3年目だったように記憶しています。それまで架空の話のような世界が目に前に出現し、正直現実として受け止めがたい気持ちでいたと記憶しています。

 それから10年弱して、かなり切実な問題なのだと実感したのは、児童相談所で仕事をするようになってからです。同時期に、椎名篤子さんのご著書、『凍りついた瞳』に出会いました。その衝撃から私は椎名さんに手紙を書き送り、知らず知らずに、この世界に足を踏み入れていきました。
 ここでは、そうした私の活動的内容よりも、自分自身の子ども時代について、語るということをテーマにしているようですので、許せる範囲で私の個人的なことを二つ述べておきたいと思います。

 ひとつは,私と親との関わりからです。
私は未熟児で生まれ、一人っ子で育ちました。母が心臓の具合の悪い人で、妊娠に耐えられないという事情で、私は7ヶ月で2000グラム以下で帝王切開で生まれたと聞いています。その後この世に生まれることのなかった何人かのきょうだいの存在も聞きました。
 私は,その意味で生き延びたものであり、運が良かった。しかし、もしかしたら、生きることも出来なかった可能性もあるものでもあったのです。今もそうですが、そのせいか私は生死に関する不安が過剰に強い人間です。加齢とともに弱くなってきましたが、死の恐怖に強く縛られています。
 その母親と、ある日、小学生の低学年だったでしょうか、自宅で私が洗面所に隠れ、むこうから歩いてきた母を驚かしたことがあります。子ども心からのたわいもない遊びでした。私の声に驚いた母は、真剣な表情で「おどろかさないで!死んでしまうじゃない」と怒鳴りあるいは諭しました。その日以来、私は母を殺してしまったかもしれない、という思いに悩みました。

 二つめは、親になってわが子と向き合ったときのことです。息子がまだ2歳前後の幼い頃、うそをいったということで、私は怒りをぶつけ叱りました。弱々しく彼は、泣きながら謝りました。
 このとき、私はこの子を支配した、という万能感を感じ、とても恐ろしくなりました。虐待というのは、嗜癖だ、依存だ、パワーゲームだ、と直感した瞬間です。これは、一歩誤ると足を踏み外し、抜けられなくなる。急いで止めないといけないと、叱ったときに怒りから急に不安になりました。

 この二つの経験から、私は、虐待というのは、誰が誰を支配しようとする行為なのか、そして支配したいという欲望の起源はどこにあるのか、ということに関心が向くようになりました。この二つは,実は表裏一体の物語であろうと、今書きつづりながら、気がつき始めています。

 私は、それゆえか、手をつなぎ合う相手、機関を求める「連携」に心が引かれ、支配ではなく共生へ、束縛ではなく規約へというテーマに向かっているのだろうと思い始めています。

 少しずつ風化した思いに再度心を馳せる機会をいただき、オレンジリボンネットに感謝します。私も含めて、すべての生きとし生けるものが、生きているという充足感と支え合っているという共生感を少しでも維持できることを祈っています。




虐待防止に
つながる情報
-お薦めの本-


「椎名篤子さんの著書と、近刊『支援と介入のはざま』」
  新ためて、凍りついた瞳シリーズ、あるいは椎名篤子シリーズを読まれることをお勧めします。
  近刊として明石書店から「支援と介入のはざま」というタイトルで、共著が出ます。虐待をテーマにしつつも、すべても子どもが生き生きと生きることができることを願う本です。出版の折りには、手にとって読んでみてください。

セルフケア
妻との晩酌、息子との芝居鑑賞。
 


☆プロフィール
田中 康雄(たなか やすお)
1958年に栃木県に生まれる。獨協医科大学を卒業後、はじめて家を出て旭川から北海道での生活をはじめ、3箇所をわたった後、2002年に千葉にある国立精神・神経センターに所属、2004年に再び北海道に戻り、北海道大学大学院教育学研究科に所属し、現在付属子ども発達臨床研究センターで仕事をしています。
虐待を越えて、子どもの関する成長発達の支援を考え実践しようとしているところです。いつも長い滑走でいつ飛び立つのか、と思っています。
ころころ変わる座右の銘:「なるようになる、なるようにしかならない」(今は)


「今年の夏に研修で出かけた先の
ナイヤガラをバックに撮影」
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