フカサワさんのこと
社会評論家
芹沢俊介
 子ども時代の父親に受けた暴力の記憶は一度だけだ。五右衛門風呂に入浴中に入ってきた父親に、板きれで尻を繰り返しひどく叩かれた。五十数年前のことだ。

 父親が叩いたのには理由がある。7歳か8歳、小学校2年生か3年生のときだった。クラスのフカサワさんという女の子の背中を後の席に座っていた私が叩いたというのだ。その結果、脊髄を痛めて何日も学校を休むことになった、そういう訴えがフカサワさんの家族からあり、担任はそれをそのまま家に知らせてきた。夜、仕事先から帰ってきた父親は、知らせを聞いて激怒し、懲らしめもかねて私をひどく打擲(ちょうちゃく)したのだった。

 ところで、女の子の背中を後から殴打するというようなことに関しては、当時もいまも、ほんとうにおれがやったのだろうかという疑問を拭いきれないでいる。第一、フカサワさんは私の前の席だったのだろうかという疑問、子どもの私は首を傾げた。第二に、私はその頃すでに自意識を多分に持っており、女の子に話しかけたり、ちょっかいを出したりするなどといったことができる子どもではなかった。運動会のお遊戯で、女子と手を繋ぐということさえ、恥ずかしくてできなかったくらいに異性を意識していた。そんな私が、背後から背中を叩くなどということは、起り得ようはずがない、そういう自己認識であった。でも、フカサワさんは、私にぶたれたと言ったのだ。
 ただし、このような疑問をこれまでフカサワさんにも、父親にも、誰にもぶつけていない。一言だって口にしたことはない。

 いまから思えば奇妙なことは、フカサワさんと私の秘め事のようなあつかいであったことだ。叩かれた翌日、フカサワさんの家に父親とともにお詫びに行き、それですべてが終わりだった。学校でも担任は、この件に関していっさい触れることなく、女の子も私にぶたれ、怪我をしたせいで休んでいたというような素振りさえみせない。なにごともなかったかのようなのである。
やがて尻の痛みも消えていった。と同時にこの出来事も私の記憶から少しずつ消えていったのである。ところがそうではなかったのだ。

 それから30年ばかり経ったある日、私は7つか8つになる長女に腹をたて、竹製の蝿たたきを振り上げていた。長女は手でよけながら、こちらをにらんでいた。蝿たたきは長女の体にあたらなかった。そのとき、頭の中を占めている像に気がついた。そこでは、父親が私を叩こうとして板切れを振り上げていたのである。そのことに気づいて愕然とした、おれはいったいいま何をしようとしているのだと思った。私は30年前のあの場面を、今度は立場を替えて、娘を殴る父親として反復しようとしていたのである。私はおだやかな父親ではなく、怒りに変貌した父親を反復しようとしていた。このとき以来、子どもに手をあげたことはない。


☆ プロフィール
芹沢俊介(せりざわ しゅんすけ)
1942年、東京都生まれ。上智大学経済学部卒業。
主な著書に『現代〈子ども暴力論〉』『母という暴力』『家族という暴力』(以上、春秋社)、『子どもたちの生と死』(筑摩書房)、『ついていく父親』(新潮社)、『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』(岩波書店)、『経験としての死』『引きこもるという情熱』(以上、雲母書房)、『「新しい家族」のつくりかた』『死のありか』(以上、晶文社)などがある。新刊に『宮崎勤を探して』(雲母書房)

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