1. 僕のお家(うち)はどこにあるの?
迷子の子どもが聞いてくるような質問だけど、実は大人が悶えながら必死で探し求めている質問じゃないかしら?離婚裁判、あるいは児童虐待の裁判で、大人である当事者が「子どもを愛している」「子どもに会わせろ」「子どもを返せ」と主張する。子どもを虐待しておきながら、なんて身勝手な主張なんだろうと思いながらも、この叫びの奥にある感情をしっかり聴き取りたいと思い直す。この親もきっと「僕のお家が見つからないんだ」と叫んでいるんだ。
僕のお家はどこのあるのだろうか。僕のお家とは、僕の生家のこと。今の僕は、あの5歳の自分の延長線で生きている。風体はどう見ても大人だが、心の中は子どものまま。何をするときでも、あのときの自分がいる。10代、20代の若いときには、こんなことは全く考えなかった。思い出したくなかった。とにかく前に進むこと、道を拓くこと、チャレンジすることしか頭になかった。でも50歳になると、なぜか自分の生きてきた半世紀の軌跡を振り返る。中年うつ病なのかしら。
2. 僕の幼少の思い出
5歳のとき両親が離婚した。ある日の夜、2歳年上の姉が母親の手に引かれて僕のお家から出て行く。僕と6歳年上の兄貴がその後を追いかける。父親が僕たちを制止する。母と姉はタクシーに乗り込んでお家を後にする。玄関にたどり着いたときには動き出したタクシーしか見えなかった。そのテールランプがやけに赤く目に焼きついている。あのまま僕は部屋に走り込み布団の中で泣いていた。
姉との思い出が浮かぶ。野良猫を拾ってきて抱き上げている姉の胸元でネコが下痢をした。驚いて泣き出した姉の叫び声が家中にこだました。風呂場に飛び込んで母親に身体を洗ってもらっている姉の姿。僕はニヤニヤして笑っている。でも、もうこんな光景は見られない。
縁側でトカゲを見つけた。トカゲを庭に追い払おうとして近づいたら、トカゲが僕の足の上に飛び乗った。泣き叫んでいる僕の姿。トカゲが乗っている足を庭先に伸ばしてトカゲが庭に落ちてほしいと思っても、トカゲは僕の足の上で動かない。奥の部屋から母親が箒を持って僕の足からトカゲを払いのけてくれる。母も姉もケラケラ笑っている。なんでもない光景だけど、僕の大事な思い出。でももうこんな光景は見られない。布団で泣いていると、父が僕を抱きしめてくれる。「俺が悪かった。許してくれ」髭面の顔を僕の顔に押しつけてくる。
父も泣いていた。大人も泣くんだと知った。
3. 竹藪での思い出
新しい母が来た。僕は新しい母になついた。銭湯も母と一緒に女湯に入る。同級生の女子が入ってきた。恥ずかしかった。風呂の湯から出られず、のぼせてしまった。兄貴は新しい母に反発した。いま思えば赤ちゃん返りだった。兄貴は僕に暴力を振るった。何度も失神し、顔に手の平の痣を残したまま学校に行った。今でいう家庭内暴力だった。いつも兄貴と両親が喧嘩していた。兄貴は家出した。ぼくが兄貴を探していたら、屋根の上で寝ていた。兄貴は「星がきれいだった」と教えてくれた。今度は僕が家出してきれいな星を見てみたいと思った。
(次へ続く→2)
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