私は、女ばかりが続いた4番目の女の子として生まれました。長女は1歳になる前に肺炎で亡くなっていますので、3人姉妹の末っ子として育ちました。すぐ上の姉は2歳11ヶ月年上で、年子の長姉と何をするにも一緒でしたが、私は、いつも仲間はずれ、独りぼっちで取り残され、泣いたり、怒ったりするひがみっ子になりました。
父は、こんどこそ男の子が欲しいと期待していたのに、私が女だったのでがっかりして、名前をなかなか付けてくれなかったということも聞きました。ですので、私は、姉たちがよそいきを着て歌やピアノのお稽古をしているとき、男の子のように木に登って本を読んだり、高い所から飛び降りてみんなを驚かせたり、わざと意地悪をして姉さんたちを困らせる、とってもいやな妹になりました。
幼いころ、私は幼稚園であの歌をみんなで歌うのが大嫌いでした。大人はユーモアと遊び心で作った歌ですが、こんなふうな歌詞でした。「まるいはニコニコ笑い顔、お日様さまみたいなよいお顔、よいお顔。三角泣き虫、怒りんぼ、そんなお顔は大嫌い、大嫌い。四角は意地悪、怒りんぼ、そんなお顔も大嫌い、大嫌い…」私はもとは丸顔でしたが、これを歌われると、心が三角と四角でしたから、みんなから自分がはやし立てられているように思えて、とっても傷つきました。そういう子どもがいることに先生はきっと気づかなかったのでしょうね。私は、ますます泣き虫、怒りんぼうになったように思います。
幼稚園の思い出で今でもはっきりとよく覚えている事件があります。それは、みんなで環になって、「近づいた、遠のいた」と手を叩いて歌い、鬼になった子どもが、誰かが隠している物を探し出す遊びをしていたときのことです。一人の鬼になった男の子が、ルールがわからないのか、いつまで経っても隠しものを探し出せなくて、うろうろうろうろとたよりなげに歩き回り、はやし立てられているのです。
私は、それを見ていて、かわいそうでかわいそうでたまらなくなってしまいました。それで、その子に手招きして、みんなの見ている前で耳打ちをして、だれが隠しているのかを教えてしまったのでした。すると、女の先生が近づいて来て、いきなり私の手を恐ろしい顔をして力いっぱい叩いたのでした。私はびっくりして多分大泣きをしたと思います。
それが、ルール違反を最初に教えられたときでした。その日、お帰りの時間がくると、それまでとくに仲良しではなかった女の子達が集まってきて、「あんなにしなくてもいいのに! 先生が悪い!」とみんなが私のほんのり赤い手をとって慰めてくれました。
振り返ってみますと、私はその後も困っている気の毒な人を見ると、じっとしていられず、ルール違反をしても、その人をかばいたいという気持ちになることがありました。私が、里親や養子縁組に係わる子どもや母の問題に関心を持つのも、そういう気持ちがむくむくと頭を持ち上げたからではなかったかと思います。人を苦しめるルールや制度は変えなくちゃいけないというそんな気持ちです。
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