東京の三鷹駅から歩いてすぐのところに、絵本屋「プーの森」があります。店長の野村羊子さんは、絵本を通して、お母さんや子どもたちの心に寄り添ってきました。野村さんにお願いして、大人と子どもに向けて、毎月テーマにあった、お薦めの絵本や書籍を紹介してもらうことになりました。どれも手にとってみたくなります。一緒に絵本の扉を開けてみませんか?
今月のテーマ
「 さびしい 」
December-2007
 人は誰でも「さびしい」気持ちを抱えています。どんなに人気者のように見えても、いつも誰かといっしょにいるようでいても、「さびしい」気持ちになるときがあります。

 「さびしい」気持ちになったら、あなたはどうしますか?メールする?音楽を聴く?泣く・・・?人それぞれに、やり過ごし方があるでしょう。
 今、ひとりぼっちでも、どこかで私を認めてくれる人がいる、分かってくれる人がいる、気にかけてくれる人がいる、そう思えたら、人は一人でもやっていけます。「さびしさ」を抱えながら、一人で自分を処することが出来ます。しんとした寂しさを味わうことだってできるかもしれません。

 ときどきは、「さびしい」と弱音を吐いて聞いてもらう。それも大事です。さびしくって泣いちゃうときもあるよね。さびしさがふりつもれば、しんどくもなるよね。それをわかってもらえるだけで、私は大丈夫、そう思えてきます。

 「さびしい」気持ちをただ紛らわすだけではなく、わかって抱えていく。それを伝え合い、分かち合う。そうやって生きていけたらいいなあと思います。

「かあさんまだかな」
イ・テジュン作 キム・ドンソン絵 
チョン・ミヘ訳 
フレーベル館

 小さなぼうやがひとり、チンチン電車の停留場にやってきて、かあさんをまっています。何台も電車がやってきますが、かあさんは降りてきません。ぼうやはじっと待っています。原文は、韓国で1938年に書かれた作品。それを現代ハングル語訳にしています。

 簡潔な言葉に添えられたイラストは、当時の風景や人々の風俗を抑えたトーンで描いています。様々な人が行き交う中で、3、4歳の幼いぼうやが、ひたすら母さんを待っている姿。ぼうやの「まだかな」とひたすら待つ気持ちが、見るものの胸にひしひしと伝わってきて秀逸です。それをどこかもの悲しいと感じてしまうのは、見ている大人の目線でしょうか。
 かあさんはお仕事かな?いつ帰ってくるのかん?様々に想像をめぐらすことの出来る絵本です。

「だーれもいない だーれもいない」
作・絵 片山 健 
福音館書店 

 こっこさんが目を覚ますと、だーれもいませんでした。ちゃんと表紙をめくった扉には、お母さんとお兄ちゃん、そして犬のジョンもいっしょに買い物に出かけていく様子が描かれています。おひるねしていたこっこさんは、置いてけぼりです。

 こっこさんはひとりぼっち。だーれもいない家、だーれもいない庭。一人で淋しさを必死にこらえているこっこさん。と、そこへ「ワンワン」とジョンが帰ってきました。
 「ごめんね」とお母さんも駆け寄ってきました。お母さんに抱かれで泣き出すこっこさん。安心したからこそ泣けるんですよね。

 さびしかった、つらかった、こわかった。いろんな気持ちを込めて、お母さんにしがみついて泣いているこっこさんの姿に子どもたちは共感するのではないでしょうか。今は品切れで入手できないこの本ですが、図書館などにはあるはずなので、手に取って見ていただければと思います。

「ぼく、おかあさんのこと・・・」
作・絵 酒井駒子 
文溪堂 

 ぼく、おかあさんのこと・・・キライ」。さびしいから「きらい」といってしまう子どもの気持ち。かまってほしいから、逆に言ってしまう「キライ」という言葉。
 日曜日はいつまでも寝てるし、早くって言うくせに自分はゆっくりしてるし、すぐ怒るし、、、キライの理由を並べ立てるぼく。

 水色の背景の中に描かれたうさぎのぼくとおかあさん。ぼくのさびしい気持ち、お母さんのやるせない気持ちを映しだしているようです。
 お母さんの枕の陰には、目覚まし時計が押し込まれています。起きたくないお母さんの気持ちと同時に、刻々と過ぎていく時間をも伝えてくれる重要なアイテムです。子どもがこの時計に気がつくのは、いつでしょうか。
 
「ピーターのとおいみち」
バーバラ・クーニー絵  リー・キングマン文 三木卓訳 講談社 

 ピーターの家は森の奥。一緒に遊べる男の子も女の子もいません。5歳になったら、村の学校に行くのよ。そういわれたピーターは、誕生日の翌日、たった一人で、村の学校まで行くことにしました。
 やっとたどりついた学校では、9月になったらおいでと言われてしまいました。ピーターは今来た遠い道のりをまた歩き出します。途中で、ピーターが出会ったのは誰だったでしょうか?ピーターは友だちを見つけられたのでしょうか。

 ひとりぼっちでさびしいと感じながらも歩き続けるピーター。何となく明るさを感じるのは、ピーターが前を見続けているからでしょうか。
「悲しい本」
マイケル・ローゼン作 
クェンティン・ブレイク絵 
谷川俊太郎訳 あかね書房

 グレー一色のこの本。本当に悲しみがあふれています。中年、あるいは老年にさしかかろうかという男性が、悲しみをこらえて日々生きる思いが描かれます。

 悲しみの原因は、決してぬぐい去れない喪失。自分より年若い身近な人間を喪った哀しさ、淋しさは、体験した人にしかわからないものなのでしょう。その悲しみがせつせつと伝わってくるのです。
 
この種の欠落感は薄れはしてもなくなりはしません。淋しさを抱えて生きていくしかないのです。何も言う必要はありません。ただ感じたものを、静かに胸に納めてください。
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