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人は、いつもなにかしらを失っています。ものを、時を、エネルギーを、そして人を。ささいなものから大事なものまで、ありとあらゆるものを。
「失う」こと、それはとってもつらいことです。小さな子がお気に入りのぬいぐるみなどをなくしたときの大騒ぎは、それをわかりやすく教えてくれます。普段はぞんざいに扱っているようですが、ないとなると泣き出します。他のものでは決して納得しません。どんなものでもそれぞれは固有の存在であり、他にはかえがたいものなのです。
「喪失」を体験しない人はありません。失って初めてその存在の大きさを感じることがしばしばあります。そのつらい体験をどう生きるか、どう生きのびるか。絵本は、様々な喪失体験を味わわせてくれます。それは予行演習であり、おさらいであり、追体験でもあります。慰め合い、あるいは支え合う。つらい体験を生き抜く力になっていけばいいなと思っています。
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「パパはジョニーっていうんだ」
作/ボー・R・ホルムベイ
絵/エヴァ・アリクソン
訳/ひしきあきらこ
BL出版
ティムは一人で、パパがくるのを待っています。久しぶりに会うパパと、今日はずっと一緒にいられる!ティムは会う人ごとにつげます。「ぼくのパパだよ。ジョニーっていうんだ」。パパと一緒にいられるうれしさ。パパを紹介できる誇らしさが感じられます。周囲の大人たちも、頷いて受けとめます。一日過ごして、いよいよお別れというとき、パパはぼくを抱き上げ、まわりの乗客に向かって言います。「この子はぼくの息子です!ティムっていうんです」。ぼくの誇らしげな顔。ぼくはパパとの生活を失ったけれど、パパそのものは失ってはいないのです。
ページをめくったラストは、迎えに来たママが、優しくぼくの肩を抱くシーン。こんなに息子を思いやれる人たちが、一緒にいられないのはなぜなんだろう。でもママがパパと顔を合わせないようにしていることからも、二人の深い溝が感じられます。彼らもまた失ったつらさ、悲しみを耐えているのでしょう。グレーを基調としたイラストですが、決して暗い絵本ではありません。ほのかな明るさを感じ取ってほしいと思います。
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「ずーっと ずっと だいすきだよ」
ハンス・ウィルヘルム 絵と文
久山太市 やく
評論社
ぼくと犬のエルフィーは一緒に育った。ぼくの背が伸びる頃、エルフィーは年をとった。ぼくは毎晩寝る前にエルフィーに言った。「ずーっと大好きだよ」。ある朝、エルフィーは死んでいた。たまらなく悲しかったけど、いくらか楽だった。毎晩エルフィーに「大好きだよ」って言っていたから。
互いを思いやる気持ちを共有し、それを言葉で確認していた。その確かな手応えが、「喪失」を乗りこえる力になっていることを教えてくれる絵本です。
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「ママが いっちゃった・・・」
ルネ・ギシュー=文 オリヴィエ・タレック=絵石津ちひろ=訳 あすなろ書房
ママがいっちゃった。くまの子が語ります。天国に行っちゃったんだ。ママのいない寒い部屋で、じっと動かないパパにくっついて、このまま氷の彫刻になっちゃうのかな。身近な人を失ったつらさを、端的な言葉とイラストで表現しています。
そこへ嵐が来て家ごと吹き飛ばされてしまいました。倒れているクマの子にパパが言いました。「家を建て直そう。ママが見守っていていれるよ」。再生に向けて歩き出す二人。余韻に浸っていたい作品です。
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